2025年5月22日発行
著者 伊地知 恭右
監修 / インタビュー 筑波大学教授 谷口 綾子
編集 / インタビュー / 文字起こし 筑波大学修士1年 林 凜太郎
協力 筑波大学SWC政策開発研究センター教授 久野 譜也
筑波大学SWC政策開発研究センター准教授 田邉 解
つくばウエルネスリサーチ 塚尾 晶子
つくばウエルネスリサーチ 千々木 祥子
プロローグ ~東神楽という奇跡~
北海道第2の都市、旭川駅前に広がるバスターミナル。バスを待つまばらな人々の列の中で、ひと際目を引く長い行列がある。旭川電気軌道株式会社が運行する旭川空港行きのバスだ。東京、名古屋、大阪そして韓国(ソウル)、台湾(台北)を結ぶ旭川空港の年間利用者数は116万人(2024年度)。新千歳空港、函館空港に続く道内第3の空港として重要な交通インフラとなっている。
この旭川空港が位置するのが、旭川市に隣接する東神楽町だ。遠くは石狩湾にまでつながる忠別川と美瑛川、2本の川に挟まれた東神楽町は東西に細長く、旭川市に刺さった楔のようにも見える。約1万人の人々が暮らす東神楽町の面積は68.5平方キロメートルと、本州の草津市や宇治市、平塚市と同規模の広さだが、北海道の中では5番目に小さなまちと言われている。この物語の舞台である。
「住民の幸福度が高い。アンケートでも住み続けたいと回答する人が9割以上を占めます。この街に住んで良かったねというイメージを持っている人が多い地域です。」
そう語るのは東神楽の山本進町長だ。東神楽町が街の住みここちランキング1位に輝いたのは2021年のこと(全国の大きな市町村を除いたふるさと版および北海道版のランキング/大東建託いい部屋ネット調べ)。翌2022年には北海道版幸福度自治体ランキングでも1位(北海道版/大東建託いい部屋ネット調べ)、2024年には同研究所の街の幸福度ランキングでも1位になるなど、現在に至るまで各種ランキングで上位を占めている。町の中心部から旭川空港までは車で10分、大雪山系の麓、大規模な米作・畑作が広がる田園風景の中に宅地エリアがコンパクトに広がっている。車移動が圧倒的に優勢な北海道内において徒歩や自転車での移動も目立つ町。10年毎の計画的な宅地開発で転入者を確保しながら住環境・教育環境の充実を図り、子どもの割合は北海道No.1。明治期より盛んな林業を背景に発達した木工技術は旭川家具としてブランド化され、匠工芸ショールームをはじめとして町内の到る所でハイクオリティな家具に触れることができる。町が位置する上川総合振興局管内にはファーム富田(中富良野町)、大雪の森のガーデン(上川町)など有名なガーデンが点在し、東神楽もまた花のまちとして全国に知られている(全国花のまちづくりコンクール最優秀賞/建設大臣賞/2000年)。
雄大な農村風景、ハイエンドな家具を生み出す工房、花で彩られた街並み、コンパクトでウォーカブルな暮らしを営む人々、街の幸福度自治体ランキング1位・・・なぜこんな奇跡のような街が存在できるのだろうか。

出典:匠工芸ホームページ

出典:ファーム富田ホームページ

出典:大雪 森のガーデンホームページ
「地域自治が盛んな町、特に公民館活動が盛んな町なんです。住民同士の関わりが強く『半公共』といった部分が充実している。そんなところがみなさんの満足度につながっているのかなと思います。(山本町長)」
公民館活動・・・詳細は本文に譲るが、東神楽町における公民館、あるいは公民館活動は、私たちの一般的なイメージと異なる。それは住民自治の組織であり、日常の暮らしを支えるコミュニティの象徴のようなものなのだ。コミュニティの希薄さが指摘されることの多い現代、“東神楽の奇跡”を読み解くには住民同士の“つながり”が鍵となる。
この物語では、北海道の小さなまち東神楽町でユニークな広がりを見せる健幸まちづくり事業に注目しながら、その土台となる人々の暮らしぶりやリーダーの人柄に迫っていく。
第1章「奇跡の土壌 ~話し合う、自分たちでやるまち~」では、公民館活動を中心とした地域活動や地域の様子を紹介しながら、住民たちの主体性や話し合う風土を描き出す。
第2章「山本町長の誕生 ~加速するまちづくり~」では、山本進町長にスポットを当て、役場入庁から町長に至るまでの経緯をたどりながら、町長が“見えている景色“を描いていく。
第3章「東神楽の健幸まちづくり① ~はじまりのエピソード~」では、子どもの身体活動量調査をきっかけに見えてきた課題が、三島市への視察やSWCへの介入を経て健康とまちづくりという大きなフェーズに変化する過程を描く。
第4章「東神楽の健幸まちづくり② ~健康×○○の掛け算で楽しむまち~」では、全町的に広がった健幸まちづくりの取組を深堀りしながら、多様な取組の展開を支える“楽しむ姿勢”の在り様を描いていきたい。
第5章「東神楽の未来像 ~人が集まり広がるまち~」では、2024年にオープンした東神楽町複合施設『はなのわ』に象徴される東神楽町の未来像を描く。
この物語は、“奇跡”のように見える東神楽町の成果や取組み、そして町の人々の暮らしの奥深くに、多くの人が納得・共感できる“必然”を読み解くことで、健幸まちづくりをはじめとした多様な社会活動に取り組む方々のヒントになることを祈念している。
第1章 奇跡の土壌 ~話し合う、自分たちでやるまち~
「うちのまちは公民館活動が盛んなんです。」
山本町長の口から頻繁に聞こえてくる「公民館活動」。それは、公民館や集会所などハコ(建物)の中で開催される文化活動や地域の集まりなどの一般的な意味ではない。
「東神楽では、公民館を建物として捉えていません。町内の公民館を中心としたエリアで行われる様々な取組そのものが公民館活動であって、自治的な組織として機能しています」
東神楽町には、住民自治の組織として町内会と地区公民館(第2章に詳述)がある。自治活動や住民同士の親睦交流などを目的とする点で共通しているが、行政区に基づき活動している町内会に比べ、地区公民館は町内の旧小学校区単位(7つ)で組織されており、対象エリア・対象住民が幅広い。事業内容についても、町内会が環境・防犯・防災・保健福祉等の活動など日常生活の維持に寄与している一方、地区公民館では、盆踊りや地区運動会、美術館見学ツアーやガーデンツアーといった教育・スポーツ・レジャーなどの活動も行っている。地区公民館組織は、地域に新たなつながりを生み、住民の生活に潤いを与えるような取組を行っているのだ。そんな地区公民館組織の活動拠点として機能する公民館は、地域に開かれた場所として親しまれている。気持ちや取組といった面で開かれているのはもちろん、実際に“鍵が開きっぱなし”の公民館もある。この鍵が開きっぱなしの公民館では、自由に集まって教科書を広げる子どもたちや、オープンキッチンでお湯を沸かして一服する農家さんの姿も見ることができる。これだけ自由度が高ければ、掃除など目に見えない管理コストがかかるのでは・・・と思いきや、施設内の掃除も利用者がそれぞれ行っているのだ。場を共有するための基本的なルールに加え、子どもたちが独自に定めた『そうじやかたづけのルール』が掲示され、利用者全員が気持ちよく利用できるように、みんなが少しずつ協力している様子が伺える。
「ワークショップで計画を作る。丹念に住民の意見を聞きながら、少しずつ政策に反映していく。簡単に政策にならないことがあっても、その理由も伝えることができるので住民としても納得感がある。住民の満足度が高いというのは、きっとこういうこともあるのかなと思います。」
山本町長が感じている住民の満足感。その土台に、みんなで考える、みんなで話す姿勢が見えてくる。
「ワークショップでは、住民の皆さんからいろんな意見が出てきますが、最終的にはある程度の意見に集約されていく。中には自分の思い通りにならないこともでてくるけれど、みんながそういう風に言うなら仕方がない、という感じで一人ひとりの中に納得感が生まれる。民主主義的な自治の中で、この納得感というのはとても大事ですよね。」
計画策定に関するワークショップ、公民館活動における話し合いなど、生活のいろいろな場面で醸成されるシティズンシップ。詳細は第2章に譲るが、山本町長が大事にする社会教育の機会が、こうした住民の日常の中に組み込まれているのだ。ただ、話し合いや公的な活動に参加する住民に偏りがあれば、地域特性とは言い難い。
「町内会の活動で草刈りやゴミ拾い、花植えをする。年に4回、日曜日の朝。冬はやらないので、4月・6月・8月・10月という感じ。これには町内会のほとんどの人が来ますね。子どもたちからお年寄りまで8~9割ぐらい参加していると思います。来なかったら、どうしたの?って言われるぐらいの雰囲気です。若い人も一緒になって、元気だったかー!?みたいに会話をしながら作業をする。町内会からのインセンティブなんてお茶のペットボトル1本ぐらいですけど、みんな来る。やっぱり行ったら面白いんですよ。まぁ、この地域の文化みたいな感じです。」
この住民が自発的に行っている町内清掃活動は役場や市街地振興協会などの費用負担もある。そのため3回に減らそうという話も出たそうだが、住民の側から「いやいや、綺麗になるんだからいいじゃない。やろうよ。」という声が集まり今でも年に4回が恒例となっているという。
こうした“みんなでやる姿勢”は、役場の改築に合わせて2024年にオープンした東神楽町複合施設『はなのわ』に広がるガーデンでも発揮されている。町では役場改築にあわせて建物近くの駐車場を分散させると共に、「花のまちなのに役場周辺に花が少ない」という住民の声を受けて広いガーデン敷地を確保。その管理のために、上野ファーム(旭川市)1に地域おこし協力隊を派遣してガーデナーを育成していた。これにあわせて、主体的にガーデンの維持管理を行う住民ボランティアの団体が形成されたのだ。まちの顔となる場所は、自分たちの手で綺麗にする。みんなの場所だからみんなでやる。みんなでやるからみんなの場所になる。住み続けたいまちNo.1“東神楽の奇跡”は、住民の主体性や住民同士の豊かなつながりに支えられているのだ。
第2章 山本町長の誕生 ~加速するまちづくり~
優れた土壌だけがあっても花は咲かない。その土に種を植え、水を与え続け、芽が出れば「元気に育てよ」と声をかけながら気配りをする。その積み重ねの先に大輪を望むことができるのだ。
主体性とつながりのまち東神楽では、住民一人ひとりがこの種植え・水やり・気配りの役を担えそうだが、ここではその筆頭として山本進町長(2025年現在4期目)にフォーカスをしてみたい。
健幸まちづくり、DX2の推進、役場の改築など、2012年の山本進町長誕生以降、東神楽のまちづくりは一気に加速してきた。山本進とはどのような人物なのだろうか。

出典:東神楽町ホームページ
1989年、北海道大学法学部を卒業した山本は「小さなまちが好き。小さいからこそ面白いことができそう」という理由で東神楽の役場に入庁した。北海道の東側、弟子屈町出身の山本は、高校時代こそ旭川で過ごしたものの、東神楽との縁はほとんどなかった。
入庁後は、2年目から担当した町役場の広報誌を刷新し、全国広報コンクールの町村の部で北海道1位、全国でも入選するなど期待の新人として活躍する。一方で、役場以外の活動にも積極的に参加。中でも代表的なのが東神楽町青年サークルだった。農家の若い人や役場の若手が集まって、地域を楽しむ活動を行うもので、イベントが増える夏には、町役場としての本務に支障が出そうなほど精力的に取り組んでいたが、本務でもきっちり成果を出していた山本はあまり叱られることはなかったという。
高校時代からの同級生と結婚した頃には、青年サークル活動を引退していたものの、当時全国的に盛り上がりを見せていた地方自治の勉強会に参加するため、毎週土曜日には札幌まで通って学びや交流を深め、地元では公民館活動やPTA活動にも精を出すなど、活躍の場を広げていった。
「集中して一つのことを突き詰めるよりには、パラレルにいろんなことを平行してやるのが得意な方だと思う。だから、なんでもやってた。役場でも、特に総務はやることがたくさんあるんですが、情報管理とかネットワーク絡み、法制度、防災、選挙、そういうのを全部いっぺんにやっていました。子育ての時期は大変でしたが、共働きの妻と一緒に、親族にも支えられながらなんとかやりくりしていました。勉強も好きでしたね。そして、YOSAKOIソーランも。」
1998年、東神楽にYOSAKOIソーランのチーム『ひがしかぐら東神酔華の舞』が生まれる。山本はその事務局として活躍。
「僕って事務局大好きなんですよ。踊るのはあんまり得意じゃなくて。むしろ、踊らせるのが好き。人が踊る場をつくったりするのがすごい好きで、皆が楽しんでいるのを見るのが好き、それは今でも変わらないような気がします。」
そんな事務局肌の山本は『ひがしかぐら東神酔華の舞』の代表に就き、その後もYOSAKOIソーラン上川中央支部支部長を務めるなど“人が踊る場をつくる側”として存在感を強めていくことになる。
そんな山本に町長選出馬の打診があったのは、2011年10月、まちづくり推進課主幹、45歳の時だった。青年サークル時代からの友人たちに「昼休みに打ち合わせしよう」と呼び出された山本は、町長選が話題になっている時期だったため「誰を応援しようか」そんな話だと思っていたという。しかし、白羽の矢が立ったのは他でもなく自分だったのだ・・・かつ丼を食べながらの町長選の打診。その数日後、山本は出馬の決意をする。
家族への想い、将来への危惧、怒涛の選挙戦などについては、それだけで一つの物語になってしまうのでここでは割愛するが、翌2012年2月、ついに山本進町長が誕生する。
「山本町長は元々職員上がりで、歳も今の課長たちと同じ世代。本当に役場の先輩という感じです。机を並べていた当時から、こんな構想があんな構想がというのを仰っていたので、町長になって何かが変わったという印象はないですね。職員の山本さんが、町長になった、そんなイメージです(神田さん)」。
同じ環境で、力を合わせてきた仲間だからなのだろう。町長となった今でも「政策を職員に押し付ける、といったことはないです。一緒に気づいたり、一緒にやったりする、やる気を引き出してくれる上司(神田さん)」だと言う。
そんな町長山本から見て、東神楽とはどんな町なのだろうか。
「住民の気質でいうと、やっぱり公共性に富んでいることと、コミュニティがしっかりしている。横のつながりが強いという部分でしょうか。そのベースには、社会教育や公民館活動の中で“自分たちで決めている”ということがあると思います。」
第1章でも触れたように、東神楽の地区別計画策定の際にはワークショップのプロセスが重視されているが、住民の中で議論が盛り上がり規定の回数を超えて行われることもあるという。また、地区の課題解決に向けて掲げた目標について「これは自分たちでやろう。これは役場と協働でやろう」といった形で常に主体性を持ちながら話が進んでいくのだという。
このような住民の公共性を育む社会教育や公民館活動。山本町長は、北海道公民館協会の会長などの公務を通じて、この種の学びを深めていく。
「公民館というのは、1946年に文部省の寺中作雄という人がその必要性を説いたのが始まりですが、彼の論では、いわゆるハコモノの「公民の館」というよりも「公民の組織」というイメージが強かった。実際、寺中作雄が提唱している公民館の機能には、娯楽とか自治振興、さらには産業振興まで入ってくる。3世代の交流の場として例示されていたり、民主主義の訓練の場としても描かれている。ところが、1949年に社会教育法ができてから公民館の役割が社会教育の場に限定されるようなイメージになり、自治振興や産業振興といった概念がはがされてしまった。社会教育だけになった公民館は楽しい場所ではなくなり、コミュニティの核にもなれず衰退していく。一方、社会教育は生涯教育へと転換する中でパーソナルな学びに堕していく。そんな中で、いま改めてコミュニティと接続した社会教育の在り方が問われているんです。」
社会教育は「学校以外の場で、青少年及び成人を対象として行われる組織的な教育活動。公民館・図書館・博物館などはその代表的な施設」とされている(広辞苑)。山本町長は、学校教育・家庭教育を除く全ての学習機会が社会教育の枠に当てはまることを踏まえ、学びの機会として人生の中で長い時間を占める社会教育というものが有する可能性を見据える。その時に重要となるのが、本来の公民館の機能、公民館という組織、公民館活動なのだ。
山本町長が特に参考にしているのが東京大学教授の牧野篤著『公民館を再発明する(東京大学出版)』だ。
「牧野先生は、社会教育法の影響で面白くなくなった公民館に、もう一度コミュニティとしての機能を作っていこう、公民館を再発明しようということを言っています。これからの公民館活動は、for allではなくby all だと。人のためじゃなくて、みんなでやろうというのが大事だと提唱しているんです。」
本来の公民の組織としての機能を継承し、地域自治の実践や社会教育の機会を創出してきた東神楽町。そこで紡がれてきた公民館活動や社会教育の在り方は、時代の先端を走っているように見えるが、山本町長は一歩先の課題も見据えている。
「ぼくらがもう少し頑張らなければいけないのは、社会教育の真ん中に子どもを置くこと。子どもが大人と一緒に活動するような機会を増やしていかないといけない。地域の子どもたちが、両親や先生以外の第三の大人を見ながら、こういう大人になっていきたいと思えるような環境をつくっていきたいですね。そのためには、地域の大人たちが、自分の子どもだけでなく地域の子たちにコミットしていく環境づくりが大事。まずはやりやすいイベントでもいい。そういったことをどんどんやりながら、地域で子どもたちを育てていく。その中で、子どもたちはどんな大人になりたいかを考えたり学んだりしていく。いろんな大人がいる、いろんな大人を見られるのが大事だと思います。」
2023年9月5日、北海道新聞の朝刊には、東神楽で開催された藁アートの活動に参加した地元出身の大学生のインタビュー記事が掲載されている。「町に育ててもらった感覚が大きい。だから地域の恩返しをしたい」と語る彼女の言葉は、山本町長が見据える未来を照らし出している。
第3章 東神楽の健幸まちづくり①
~はじまりのエピソード~
第3章~第4章では、東神楽という地域の中で育まれた住民の主体性やつながり、そこに誕生した山本町長というリーダーによって進められてきた事業の中でも、その発展性や取組のユニークさに特徴のある「健幸まちづくり」に着目する。
農業の町でもある東神楽町では、子どもたちを対象とした食育にも力を入れていた。例えば、学校給食は全校で自校調理を行っており、給食時にはランチルームという天井の高い広い部屋に全校児童が集まって、学年を混ぜた縦割りのグループでご飯を食べる。コロナを経て実施が難しくなった学校もあるが、今でも続けられている大切な取組だ。
このように食育への関心が高い中で、2014年、文部科学省の補助事業であるスーパー食育スクール3へのチャレンジが始まった。

出典:東神楽町役場
「食育を中心に子どもたちの健康を図っていこうと、スーパー食育スクール事業に手を挙げたんです。(神田さん)」
文部科学省による子ども向けの食育事業という性格上、教育委員会の事業としてスタート。当時の教育委員会担当者が神田さん(2025年5月現在、健康ふくし課課長)である。初年度は子どもたちからのアイデアも募集しながら食育のためのレシピ本や教科書をつくっていたが、大学時代から健康・福祉分野に興味を持っていた神田さんは「歩行や体の状態を示す指標を把握して「健康の見える化」をしないと改善が難しい」と考え、健康機器メーカーのタニタヘルスリンクとの連携を実現し、町内の子どもたちに活動量計を持たせることにした。すると、子どもたちが全く歩いていないことが明らかとなったのだ。
管理栄養士で、今は健幸まちづくりを担当している松尾さん(2025年5月現在、健康ふくし課係長)は、当時をこう振り返る。
「北海道って冬が長いですし、やっぱり家と家の間が遠いからどうしても近所でも車だし、近くのコンビニも車だし、ドア・トゥ・ドアの移動が多いということは認識していたんですけど、子どもたちに活動量計を持たせて初めて実感しました。子どもが歩いていないということは、もちろん保護者の方も歩いていないだろうということで、小学生向けの取組を全町民向け、まち全体の取組に広げていく必要性を感じました。」
こうして健康とまちづくりに視野が広がる中で、松尾さんはタニタヘルスリンクから伝え聞いていた静岡県三島市の取組に興味を持ち、現地を訪問したいという想いを強くしていった。
「山本町長、三島市に視察に行きたいです!」
山本町長は、松尾さんの提案を受け、代々木公園で開催される北海道フェア支援のために上京する機会を活かして三島市に視察に行くことを決める。数名の東神楽チームが健康まちづくりの先進地である三島市を訪れたのは2015年10月ことだ。この時、山本町長は
「健康に関する事業は、保健師の方々が中心になってやるものだと思い込んでいた。保健師となれば女性が多いわけだけど、三島市に行って最初に驚いたのは男性職員、しかも一般職の職員が健康の事業を担当していたこと。その方々が、積極的に健康政策へのアイデアを出している姿を見て・・・そうか、健康のことって誰でも取り組まなきゃいけないことだし、保健師に限らず誰が考えてもいいんだ・・・と気づかされました。」
三島市で健幸室長として対応してくれたのが柿島淳さんだった(2025年5月現在、こども・健幸まちづくり部こども保育課こども保育課副参事)。健康まちづくりの取組の豊かさに加え、柿島さんのバイタリティに深く感動した松尾さんは、帰路につく新幹線の中であふれる想いを記録するかのように、御礼の手紙を綴っていた。こうして生まれた職員同士のつながりが、後の三島市と東神楽町という自治体同士のつながりに深みを加えていったのだ。
この三島市の視察では、もう一つの大きな“収穫”があった。それがSWC(Smart Wellness City)首長研究会4の存在である。視察の中でSWCに関心を持った山本町長は、当時参加していた別の会(提言実践首長会5/政策大学院大学主催6)の懇親の場で、たまたま近くに座った見附市の久住市長(当時のSWC会長)に「SWCってどうなんですか?」と率直に相談を持ち掛けたところ「早く入りな」と助言され、翌2016年にSWC首長研究会に加入することとなる。
「2016年5月の茨城県取手市でのSWC首長研究会に参加したのが初めてです。当時は、町の施策としてやるべきなのかまだ少し逡巡していた時期なので最初の3回ぐらいはプライベートで参加していました。」
SWC首長研究会への参加には多少の緊張感もあったと言う。
「会自体はとてもウェルカムな雰囲気で当初から色々な話をさせていただきましたが、町村長としては市長さんたちとの付き合いには緊張感がありました。まだぎりぎり50代にもなっていなかったこともあって。」
その緊張感の中で、山本町長は多くの刺激を受ける。
「久住市長もそうですが、先進的な取組をしている首長さんばかり。みなさんに共通していたのが、健康というone issueではやっていないということ。まちづくりという総合的なものの中で、健康もやるけれどもあれもこれもやっている、本当にいろんなことをやっている首長さんに出会うことができました。特に市長さんたちは政治的にいろいろなポジショニングの方もいるので、職員あがりの人が多い町村長だけでいると感じられないような規模の政策や動き方に触れることができました。」
「私たち首長も全ての分野が得意なわけではない。得意なこともあれば苦手なこともある。そうした中で総合的にまちづくりを進めていくには、苦手な部分を小さくしながらどうやってプラスにしていくのか、その方法をつくりあげていくことが必要。同時に、特徴的な、そのまちで光るものを作っていくことも大事です。
そう思いながら振り返ると、当時の東神楽町の健康政策は定型的でルーティンな取組に目が向いていたけど、SWC首長研究会ですごい首長さんたちと出会うことで、新しい企画をしていいんだ!むしろするべきなんだ!ということを教えてもらったような気がします。健康だけじゃなく、DXも含めていろんな取組が必要なんだと改めて認識できたように思いますね。」
こうして三島市への視察をきっかけにうまれた職員レベルでのつながり、首長レベルでのつながりが、東神楽町の健幸まちづくりの物語に豊かさと広がりをもたらしていくのだった。
第4章 東神楽の健幸まちづくり②
~健康×○○の掛け算で楽しむまち~
スーパー食育スクールでの活動量調査結果からまちの課題が明らかとなると同時に、三島市への視察やSWC首長研究会への加入を経て、東神楽町の健幸まちづくりは「ブレイクスルー(山本町長)」をしていく。
「今までの保健に関する業務とは別に、これからの新しい取組は“楽しくやっていたら健幸になっていた”といったコンセプトでやろうと思った。無意識に楽しく健幸になる。せっかくの新しいことなので楽しんでやれたらいいなという思いが強かったです。」
三島市への視察から多くの学びと想いを持ち帰った松尾さんはこう振り返る。
SWC首長研究会に加盟した年、2016年にスタートしたのが『ひがしかぐら健康くらぶ』という町民の健康増進を推進する団体(事務局:健康ふくし課)だ。スーパー食育スクールの頃から連携していたタニタヘルスリンクの活動量計を使って、身体の「見える化」をしながら楽しく健康づくりを実践するこの健康くらぶは、その後の事業の広がりを支える団体へと成長し、その会員数の推移は健幸まちづくりの浸透度合いを測る指標となっていった。
松尾さんの言葉に“楽しむ”という言葉が重ねられていたように、東神楽での健幸まちづくりでは“楽しむ”というコンセプトが貫かれている。例えば、名称からして楽しむマインドが溢れている『脂肪燃えるんピック』。これは春と秋の脂肪量の変化をチーム戦で競うもので、優勝チームにはまちの特産品がプレゼントされる。テレビの取材もあり、若い世代に健康くらぶをアピールするのに役立った。オリンピックになぞらえたもう一つの取組『ベジたべるんピック』。特定の期間中に1日8310歩(831=やさい)以上歩いた人に町内の産直市場などで使える野菜のクーポン券を進呈するというもので、運動と食を通じた健康促進だけでなく地元野菜の消費という側面も加えた取組だ。こちらも、健康くらぶの周知だけでなく、地元野菜の認知度向上にもつながっている。
また、SWCを通じた自治体交流も盛んだ。同じタニタのシステムを活用している北海道内の自治体(開始当時は、中札内村と上士幌町。2025年現在は中札内村と京極町)が町合同で競い合う3町村歩数大決戦は、チーム戦で一定期間の歩数を競い合うため、多いに盛り上がるという。
こうした多様な取組の中、松尾さんには愛着のある事業がある。健康ふくし課だけでなくゴミ・廃棄物担当の暮らしの窓口課と協働で実施したクリーンウォークというイベントだ。第1章にて触れた町内会主体の清掃活動を参考に計画した、ゴミ拾いをしながら自然と歩数も稼げるというもの。健康くらぶの会員以外にも多くの参加者が集まり、毎回200人ぐらいが参加するイベントに育った。

出典:ひがしかぐら健康くらぶ
「皆さん主体的なんですよね。やらされてる感がないっていうか、本当に楽しんで、毎年楽しみにしてくださっている。」
クリーンウォークは年1回の開催だったところ、住民からの「こんなにいい事業はもっとやった方がいい」という要望を受け、年2回に増えたのだという。
「本当は、毎月やってくれって言われたんですけど、さすがにそればかりに町役場の時間と人を使うことができないので」
健康ふくし課の神田さんはこう加える。
「道路の清掃など、町を綺麗にしようという町民の意識がもともと高い土壌だと思うんです。だから、道路を綺麗にしながら歩こうというこのクリーンウォーク事業がすごく受け入れられやすかったんじゃないかと思っています。」
町を綺麗にする心。2020年の花のまちづくり大賞受賞(建設大臣賞)に際し来町した審査委員の言葉はそれを象徴するものだろう。
「10年間いろんな花の町を見てきたが、こんなにゴミが落ちていない町はない。どこのまちでも花のある場所は綺麗だが、その他のところは・・・ということが多いが、東神楽はほんとうに汚い場所がない。」
このクリーンウォーク事業で松尾さんは大事な気づきを得る。
「あそこにゴミがあったよ、○○の河川敷にはいつもゴミがある、といったが情報が集まってくるので、まちも綺麗になるし参加者は健康になるし、健康と何かを掛け合わせるのが良いなと気づきました。自分たちだけでやるのではなく、異分野と掛け合わせることで相乗効果がでる。いろんなところとコラボして何かできたらな。」
そう語る松尾さんの言葉は、「政策に横串を入れる」という表現で政策を推進してきた山本町長のマインドとも重なる。こうして、“健康×○○”の取組はその後もいろいろなアイデアに展開していくこととなる。
楽しむというコンセプトを貫き、掛け算による施策の相乗効果を生みだし、ひいては住民の後押しや主体性によって施策が広がるまち。東神楽町での健康まちづくりのユニークな展開と浸透には、施策の工夫だけでなく住民自身の“楽しむ・主体的にやる・みんなでやるという気質”も深く関わっているのだ。
第5章 東神楽の未来像 ~人が集まり広がるまち~
基幹産業が広がる風景、雄大な自然景観、子どもたちの笑顔・・・まちのイメージを司るものは多様であるが、東神楽町においてまちを象徴する新しいものと言えば、地元出身の建築家藤本壮介氏7による設計の東神楽町複合施設『はなのわ』と言ってよいだろう。
人々が行き交い交流する「わ」を生む「花のまち」のシンボルとして2024年に誕生した『はなのわ』には、「来たいと思える場所があるのが大事です」と語る山本町長の言葉どおり、役所機能に加えて診療所や図書館、キッチンスタジオ、バスの待合所、文化ホールなど多様な機能が集まっている。建物に寄り沿ってデザインされ、2万株以上の花や木が植栽されたガーデンは、住民主体のボランティア組織が管理することで四季を通じた彩りと清潔さが保たれ、『はなのわ』に集う人々に潤いを与える。『はなのわ』は、10年に及ぶ度重なるワークショップを経て、山本町長の想い、住民の心、東神楽の風土、そして東神楽の未来につながるイメージが結集した、東神楽の新しいシンボルだ。
『はなのわ』には、健幸まちづくりの一環として、ウォーカブルなまちや暮らしにつながる仕掛けも設けられている。建物周辺の駐車場は台数を確保しながらも緑の空間を交えながら程よく分散され、自然と歩く機会、ガーデンを感じる機会を演出している。同様に、歩く時間が増えるだけでなく、今後のまちの移動の足を担う公共交通(バス)の結節点となるべく、雨風雪をしのげる待合所も『はなのわ』内に設けられているのだ。

出典:東神楽町役場

出典:東神楽町役場
山本町長は、町民の満足度が一番低いのはバスなどの「交通」だと言う。
「元々コンパクトなまちなので、元気な人は歩きましょうという感じですが、杖をつきながら歩かないといけないような方や車を手放す方もたくさんいるので、そこは町としてサポートしていかなきゃいけない。町民などの移動実態を踏まえてからの議論となりますが、幹線となる移動を支える路線バスと、スクールバスとコミュニティバスを含めた支線の部分のサービスをどうつなげていくかがポイントになると思います。1時間に1本のバスでも、きちんと考えて整備されていれば、それにあわせた移動や生活ができる。」
東神楽町を含む旭川のエリアでは、旭川駅を中心として放射状に伸びるバス路線が多く、そこに接続する環状的な路線が少ないこともあってか、トランジット(乗継・乗換)の習慣がほとんどないという。山本町長は、徒歩・自転車・バス・鉄道・新モビリティ、どのような手段であれ「トランジットの仕組み・環境づくりと習慣化が重要になってくる」と見込む。その目線は生活レベルの話だけでなく、エリア全体あるいは北海道全体にまで及ぶ。
「旭川空港の利用者増に伴って駐車場やレンタカースペースの不足という課題が出てくるので、空港から離れた場所にまとまった駐車スペースが必要になる。多くの空港で各レンタカー会社が個別に送迎しているが、レンタカースペースをまとめて、空港とBRT(Bus Rapid Transit)でつなぐといったインフラ整備が必要だろう。さらに、ワンウェイ(片方向)になりがちなレンタカー観光の動線についても、新千歳空港イン&旭川空港アウトの動線を誘導することでレンタカー車両の偏りを調整すると同時に旭川エリアに誘客するといった工夫もしていかなければいけない。私自身は「空の駅構想」と呼んでいますが、こうした空港およびその周辺を軸としたインフラ整備や動線のアレンジを進めていきたいですね。」
『はなのわ』や旭川空港といった地域の拠点を如何に活用していくか。人が集まる仕掛け、人の広がりを支える機能。東神楽町の未来を見据え、住民も観光客も満足度の高いまちにしていくための丁寧かつ壮大なチャレンジが進んでいる。
エピローグ ~まちを舞台に踊る~
地域に根差した公民館活動。その中に自然と組み込まれた社会教育の機会。そこで育まれる個人の主体性と人々のつながり。これらをベースとしたワークショップの充実。そこから生まれる政策の納得感。積極的につながりを育み、施策を生みだす職員。楽しみながら政策が実践されていくまち。そして、まちに育てられたと語る子どもたち・・・“東神楽の奇跡”をひも解くと、豊かな人のつながりや楽しみながら暮らす人々の営みが見えてくる。
「役場主催のイベントがなくても、健康に対する意識が高くなるような世論が形成されるのが理想」と語る神田さんは「自然体で元気になっていく」ことが目標だと言う。この神田さんの言葉が「役場がいろいろやらなくても、まちへの意識が高くなるような取組が実現する、自然とまちが元気になっていくのが理想」と変換されて聞こえて来るのは、筆者だけだろうか。健幸まちづくりについて語る合間に「HealthよりWell-beingなんですよ」とつぶやく山本町長の視線が、住民の健康を通じてまちの在り方全体に及んでいることを思えば、筆者の変換もあながち的外れではないだろう。
「人を踊らせるのが好きなんです」と笑顔で語ってくれた山本町長。それはYOSAKOIソーランに留まらず、小さなイベントからまち全体の政策にまで及んだ。まちを舞台に暮らしの中で活き活きと“健幸的に”踊る人々。事務局肌と自負する山本町長が、幸せそうに微笑む姿が目に浮かぶ。その胸の中で、町民のWell-beingを夢みる山本進が踊っている。
インタビュー協力
東神楽町 町長 山本進さん
東神楽町 健康ふくし課 課長 神田昌作さん
東神楽町 健康ふくし課 係長 松尾友香さん
収録:2024年9月25日・26日、2025年4月26日、5月15日
- 旭川市にある観光庭園。ガーデニングの聖地ともされ、全国から観光客・愛好家が訪れる。https://uenofarm.net/ ↩︎
- デジタル・トランスフォーメーション:ICTの浸透が人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること,https://www.soumu.go.jp/denshijiti/index_00001.html ↩︎
- 学校における食育を推進するため、各種外部機関と連携し、食育プログラムを開発するスーパー食育スクールを指定し、栄養教諭を中心に外部の専門家等を活用しながら食育の推進を図る,https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/1353368.htm ↩︎
- 健幸をこれからのまちづくりの基本に据えた政策を目指す首長の同志が集まり、発足した組織。https://www.swc.jp/ ↩︎
- 地域主導での地域づくりを目指して全国より有志首長が集い、連携して政策の提言を行い自ら実践をしていこうという政策提言実践集団。http://www.leadersnetworks.gr.jp/ ↩︎
- 政策及び政策の核心に関わる研究と教育を通して、我が国及び世界の民主的統治の発展と高度化に貢献することを目的とした国立大学。https://www.grips.ac.jp/ ↩︎
- 東神楽町出身の建築家。大阪・関西万博の大屋根リングの基本設計にも携わる。 ↩︎