2026年6月15日発行 著者 片桐 暁 監修/インタビュー 筑波大学教授 谷口 綾子 編集/インタビュー/文字起こし 吉田 泰基 協力 筑波大学大学院修士2年 林 凜太郎 筑波大学大学院修士2年 山原 けい
Part 1. 地域の足がやってきた
千葉県松戸市、小金原。坂がちなその地区は、身近な“足”を必要としていました。お隣の河原塚も、これまた坂の多い地区。「これではお年寄りが出歩くのに差し障りがあるだろう」ということになり、その結果、これらの地域に待望の移動手段がやってくることに決まりました。しかしそれは、ただの乗り物ではありませんでした。特に、小金原地区では異色の取り組みが…。
おっと、先を急ぎすぎました。どんな移動手段が、どんな次第で小金原にやってきて、どんな風に人々に受け入れられていったのか。その結果、小金原地区はどのように変わったのか。それをこれから、お話ししていきましょう。
登場人物の紹介① 中澤 豊さん 生まれも育ちも松戸市。鳶職(建設業)や塾講師(サービス業)など多様なアルバイトを経験しつつ、大学卒業後に松戸市役所に入庁。これまで4回の改革業務(地方分権改革、行財政改革、公務員の給与構造改革、介護制度改革)に従事。真夏でもスーツ、長袖Yシャツ、ネクタイを欠かさない不思議な一面も。2026年3月末で松戸市役所を60歳で退職し、現在フリーランスとして活動中。
きっかけは「松戸プロジェクト」
千葉県松戸市は、都心から20km圏に位置する、東京のベッドタウン。61.38km2の面積に約50万の人口を擁する都市です(2025年4月時点)。
交通事情に関しては、道路網が整備されている上に、鉄道はJR線2路線と私鉄4路線が走っており、市内の駅は合計23駅。さらに路線バスは4社25路線、コミュニティバス1路線を有し、移動の利便性の高い地域であることが窺えます。

さて、2014年のこと。日本全国で高齢化が進むなかで、介護保険法が大幅に改正されました。この改正の特徴は、市町村への権限移譲が進められたことにありました。松戸市ではこれを受けて、全国に先駆け、新たなプロジェクトに取り組むことになります。
2016年11月。松戸市役所の福祉部局では、日本老年学的評価研究機構(JAGES)の代表である、千葉大学予防医学センターの近藤 克則先生と、「介護予防に資する活動等の共同研究プロジェクトに関する協定」を結びました。
こうして始まった「松戸プロジェクト」を近藤先生とともに推し進めた松戸市役所側のキーパーソンが、本物語の主人公の1人である、当時は福祉長寿部に在籍していた中澤 豊さんでした。
松戸プロジェクトの概要
松戸プロジェクトとは、一言でいえば「高齢者の社会参加を通じた介護予防モデル」です。より具体的には「高齢者が役割や生きがいを持てば、介護予防が実現され(すなわち、要介護状態になることが減り)、ひいては社会保障費の抑制につながるだろう」という仮説に基づいたプロジェクトでした。高齢者の社会参加とは、例えば地域活動やボランティア、そしてプロボノ活動2などを指しています。
松戸市の「松戸プロジェクト」のホームページから、主だった文章を引用してみましょう。
「松戸プロジェクトとは、地域活動への参加で健康寿命を伸ばす全国に先駆けた科学的研究プロジェクトです」。
「松戸プロジェクトは日本初、世界初のチャレンジです。超高齢社会を健康長寿社会にするチャレンジにご協力ください!」。
このような「松戸プロジェクト」を背景として、新しい移動手段が松戸市へ導入されていくことになったのでした。
高低差と高齢者(2019年)
2019年、プロジェクトの一環として、松戸市の各地で地域診断が行われました。すると、社会参加率や健康指標が低い地域がいくつか判明し、また、その特徴の一端が浮かび上がってきました。ある地域では、近隣地区に20m程の高低差があり、坂を歩く負担から集会に参加できなくなる高齢者が、徐々に出てきているとのこと。また今後、歳を取るにつれ日常の移動が困難になる人たちがさらに増えていくだろうとの見込みでした。
松戸市役所の中澤さんは、このデータを見て考えました。「確かに松戸市は、公共交通の便は良い。でも地域の人たちが本当に困っているのは、その公共交通の網の目から抜け落ちてしまうような、自分たちの地域の中での移動だ。生活範囲内での、日常の買い物や通院などの移動なのだ」。
この問題に対して中澤さんは、一つの仮説を持っていました。それは「いわゆる“公共交通”ではなくて、地域の人たちが自ら行う移動や、共創・協働して行う移動というかたちも、きっとあるに違いない」というものでした。
実証実験、始まる(2019年)
ある日、中澤さんは千葉大学の先生から、こんなことを伝えられました。
「中澤さん、ご存知ですか?国交省が最近、グリーンスローモビリティ3関連の公募をしているようです。実証実験を支援してくれるらしいですよ」。
自分の問題意識に照らし合わせ、「これだ!」とピンと来た中澤さんは、すぐに地域の人と一緒に講演会に参加し、可能性を模索しました。しかし、公募の締め切りまでわずか1ヶ月ほどの猶予しかありません。中澤さんは、行政マンの本領発揮、持ち前の行動力にて猛スピードで必要な書類を取りまとめ、期限までにきっちりと耳を揃えて応募したところ、見事、松戸市の河原塚地区は対象地域の1つに選定されたのでした。
事業名は「グリーンスローモビリティの活用に向けた実証調査支援事業」。グリーンスローモビリティの導入・活用については、中澤さんが以前から親しかった、鎌田 実先生(東京大学名誉教授、日本自動車研究所長)の指導を仰げることになりました。布陣は申し分なしです。
グリーンスローモビリティとは?
ところで、「グリーンスローモビリティ」とは、いったい何でしょうか?国土交通省などの定義によれば、それは「①時速20km未満で公道を走ることができる」「②電動車を活用した」「③小さな移動サービス」と説明することができます。グリーンスローモビリティは「グリスロ」または「GSM」と略されますが、この物語では、河原塚地域や小金原地域での愛称としても親しまれている「グリスロ」という名前で呼ぶことにしましょう。その特徴をさらに噛み砕けば、以下のようになります。
- 時速20km未満で公道を走ることができる:
これにより「観光客が景色を楽しむ」「コミュニケーションが創出される」「重大事故が抑制される」といった、さまざまな可能性が生まれます。
また、道路運送車両の基準が一部緩和されており、「窓ガラスがなくても公道を走行できる」「シートベルトやチャイルドシートの装着が免除される」等の特徴があります。 - 電動車を活用している:
充電式のEV(電気自動車)を採用しており、環境に優しい、エコな移動サービスです。 - 小さな移動サービス:
従来の公共交通ではカバーしきれなかった、短距離のきめ細やかな移動を可能にします。
さて、もし国交省の公募に選ばれて実証実験を行うなら、車両にかかる費用(イニシャルコスト)が国の補助によって全額賄われることは決まっていました。ただし、車両を維持・運行するランニングコストの方は用意されていません。わずか1ヶ月で滑り込むように応募したこともあり、当然、松戸市役所でも予算は確保していませんでした。そこで、実証実験に千葉大学が研究として協力することで、ランニングコストを研究費として捻出できることになりました。
こうして、2019年の10月27日から11月23日の約1ヶ月間、松戸市の河原塚地域にて、グリスロの実証実験が行われることになりました。その内容は、実際に地域にグリスロを走らせて、お年寄りの行動範囲が広がるかどうかを確かめようというものでした。
中澤さん、ゼロからルートを開拓する(2019年)
すべてが初めて尽くしの状況の中で、中澤さんは河原塚地区におけるグリスロのルートを検討し、どこを走るか、どこで停まるか等の当たりを付けては、一軒一軒、沿道上の店舗等に協力を呼びかけていきました。例えばドラッグストアには、ここの駐車場を横切らせて、グリスロを停めさせてほしい、その代わり、きっと買い物客が増えるから…といった具合です。市役所の名刺を持っているということも、役に立ちました。また中澤さんには、そうした交渉の際の口説き文句がありました。「協力していただける場合は、市の事業のホームページに名前を載せますから」と。
中澤さんは、所轄の警察署にグリスロの意義を理解してもらい、協力を取り付けることも大切なことだと心得ていました。グリスロは時速20km未満の低速走行ですから、走るルートによっては渋滞を引き起こす可能性があります。道路交通法で渋滞対策・交通安全は警察の担当であるため、警察官にもグリスロに同乗してもらい、ともに問題解決に取り組むスタンスを取ることになりました。その結果、署との関係も円滑に運び、過去に事故が発生した交差点についてはルート変更を行うなど、ルートがより良いものとなっていきました。こうして少しずつ、グリスロが走る路は切り拓かれていったのです。
地域活性化の起爆剤(2019年)
千葉大学は、グリスロが走り出すと、それにまつわる調査・研究を実施しました。例えば、利用者にGPSを付けてもらい、グリスロの導入以前・導入以降で、移動範囲がどのように変わるかを調べるというものです。この研究によって、導入前の1.5倍にまで利用者の移動範囲が拡大したことが示されました。
また、アンケート調査も行われました。特徴的だったのは、ボランティアの運転手(これも地域の人たちが担っています)に起こった変化です。運転手を務めることによって、「生きがいを感じる」「やりがいがある」といった、明確な心境の変化が見られたのでした。
「こうして地域の人たちが乗客ともなり、運転手ともなるのであれば、これは本格的に導入する効果があるな」と、実証実験を終えた中澤さんは考えました。しかしそれは、ただ単にモビリティとして導入する、という意味ではありません。中澤さんの脳裏には「これは地域活性化の起爆剤になりうる存在だ」との閃きがあったのでした。

小金原地区の参画(2021年)
中澤さんの当時の所属部署は、すでに述べたように松戸市役所 福祉長寿部でした。そのため2020年は折からの新型コロナ対策に忙殺され、一時期、グリスロ関連の動きは停滞気味になってしまいます。
しかし2021年の秋、先の実証実験で用いた車種であるYAMAHA AR-07の製造元であるヤマハ発動機株式会社から、コンタクトがありました。「YAMAHA AR-07に関しての実証実験の調査データをお持ちであれば、千葉大学と一緒にぜひとも共同研究をさせていただきたい」との申し出です。そこで、2019年の対象地域「河原塚」に新たに「小金原」地区を加えた2地域で、さらに2ヶ月ほどの実証実験が行われることになりました。事業主体は松戸市。事業名は「グリーンスローモビリティを活用した高齢者の移動と健康に関する実証調査」です。
調査の結果は、今回もまた明白でした。グリスロを利用した人々は、利用しなかった人々と比べ、望ましい心理・行動が誘発されたという結果を得ることができたのです。
この実証実験の際に、小金原地区の責任者として参加したのが、渋谷 寛之さん(小金原地区長、小金原地区九丁目町会長、松戸市社会福祉協議会理事)でした。渋谷さんは調査を通じて「ぜひともこのグリスロを小金原に本格的に導入したい」と考え、2022年の本格運行(地域に実際にグリスロを導入すること)に向けて、中澤さんと協力していくことになるのです。
渋谷さん、手応えをつかむ(2021年)
実証実験期間中には、(まだ正式導入ではなく調査段階であるために、)グリスロを使わない夜間、車体を松戸市役所の関連施設に置いておくことができませんでした。そこで渋谷さんは、自分の家に毎日グリスロをわざわざ持ち帰り、朝になると運行開始場所に届ける、ということを繰り返していました。それだけではありません。YAMAHA AR-07は200Vの充電が必要だったため、夜間は自宅の2階の部屋から延長コードを伸ばして車両を充電。実証実験の2カ月間、渋谷さんは夜にエアコンなしの暮らしを余儀なくされたのでした。
さて、渋谷さんの仕事が始まる時間から逆算すると、朝、グリスロを所定の場所に届けるには、6時半くらいに家を出なければなりません。早起きし時速20km未満でグリスロを運転していると、ちょうどラジオ体操が終わる頃合いです。すると体操を終えたおばあちゃんが1人、また1人と、物珍しそうにグリスロを見送ってくれます。その数は3人、4人と増え、実証実験のことを聞きつけたのでしょう、「がんばってねー」と声援を送ってくれるようになりました。調査の終盤には、噂がどんどん広まり、20人くらいのおばあちゃんの「がんばってねー」の合唱です。渋谷さんは「これは行ける!」という手応えを感じました。おばあちゃんたちのためにも、実証実験にとどめることなく、ぜひグリスロを走らせなければならない、と。
渋谷さんは心中ひそかに、もし運転要員が見つからなければ、あと2人くらいをなんとか誘って、自分たち自身が運転手となって運行に対応しよう、とまで考えていました。
ところで、渋谷さんの家の正面には中学校がありました。YAMAHA AR-07の、ゴルフカートのような風変わりな姿格好は、中学生たちの興味を惹くに十分でした。彼らは連れ立ってやってきては「なんじゃこれ。乗せて」と興味津々です。渋谷さんは「いいよ」と車内に入れてあげます。誰でも乗れるクルマというグリーンスローモビリティのコンセプトは、実証実験の段階から、地域に広まりつつありました。
道路運送法上の許可登録不要×互助というアイデア
さて、松戸プロジェクトをきっかけとして始まった、河原塚や小金原におけるグリーンスローモビリティ(グリスロ)の実証実験で運転手を担ったのは、いずれも地域のボランティア(松戸プロジェクトの趣旨からいって、高齢ボランティアがメイン)でした。つまり、高齢ボランティアが、さらに高齢の地域住民の移動をグリスロによって支える、という構図です。
そして、グリスロの利用料は無料でした。実はここに、大きなポイントがあります。通常、タクシーやバス、トラックなど、有償で人や貨物を運ぶ事業においては、国土交通大臣などの許可や、国土交通省への許可登録が必要となります。しかし、「営利を目的としない運送であれば、道路運送法上の許可登録不要」ということが、法律で定められています。
中澤さんは、例外となる後者に目を付けました。そして「地域のボランティアが、地域の高齢者を運ぶ」という、いわゆる“互助”の考え方とかけ合わせました。こうして、複雑な許可登録の必要なくして、グリスロによる高齢者の移動が可能となったのでした。
「移動ということについて考えたとき、まずは自力でやること(自助)が基本になると思いますけれども、それができなくなってきたときには、地域で協働してやる、互助でやる。移動に限らず、昔は歳を取った人たちを、そうやって隣近所で助け合う仕組みがあったじゃないですか。それをグリスロで形にした。公共交通が幹や枝だとすると、グリスロは葉っぱ。葉っぱの対策は地域と一緒に考えられるんじゃないか?そういう位置付けにしたわけです(中澤さん)」。
こうした松戸市の取り組みはその先進性が評価され、令和4(2022)年度版の内閣府『高齢社会白書』に、「グリーンスローモビリティの取組事例」として掲載されました4。2度の実証実験を経て、グリスロの本格的な運行の機は熟しつつありました。
Part 2. 調査から、実装へ
実証実験を通じて、グリスロによる地域互助の仕組みには「顔見知りが乗っている」「友人を誘って乗車できる」「無償なので誘いやすい」といったメリットがあることがわかってきました。松戸市はこれらによって高齢者の社会参加の機会を増やすことができると、実証実験を評価。また、市が2017年よりプロボノ活動を導入していたことからも、ボランティア運転手等の候補は同市に存在しており、この仕組みは普及・定着するのではないかと考えました。
松戸市役所の中澤さんを始め、千葉大学の近藤先生、東京大学の鎌田先生、そして導入に積極的な小金原地区の渋谷さん。その他、実証実験等に関わった大勢の人々の努力が積み重なった結果、松戸市を実施主体とした「グリーンスローモビリティ地域推進事業」が、いよいよ事業化されるに至ります。
登場人物の紹介② 渋谷 寛之さん 遡れば江戸時代から、松戸市小金原地区に根を張ってきた家系の渋谷さん。自動車セールスマンなどを経て、現在、自営業(不動産管理)。性格は好奇心旺盛、面白そうだなと思ったら何でもやってみて、その結果…ハマってしまう。急逝した元町会長の「若い人の思いを尊重したい」との遺志を継ぎ、40代で小金原九丁目町会長(2014年~)、小金原地区長(2019年~)に就任し、活動中。
グリスロを導入すると、社会保障費が下がる?
人口約50万人の松戸市には現在、約13万人弱の高齢者がいます。このうち要介護認定されているのは2万5千人ほど。つまり全高齢者のうち、認定されているのは約20%です5。
「適切な機会や場があれば、高齢の人たちはきっと、もっと元気になり、要介護認定率が下がるんじゃないだろうかということを、以前から考えていたんですね」と、中澤さん。
「しかし介護予防というのは一般的に、何が要因かを見極めるのが困難です。例えば体操教室でもいいんですけど、そこに通ったから健康になったのか、あるいはその人の生活スタイルが変わったからなのか、因果関係が分からない。ですから『グリスロで外出が増えることによって要介護認定率が下がった』というインパクトを測るのはすごく難しいんですけど、その点を千葉大学の近藤先生などと一緒に一生懸命考えて、『外出頻度が高まれば要介護の認定率が下がる』というデータを突破口に、介護予防事業を組み立てました」。
松戸市では、グリスロの車両は購入することとし、新車の耐用年数が6年であることから、6年間の事業費として350万円/年を計上。財源は介護保険から充当しました。要介護認定者への年間平均給付金は1人につき227万5千円(※2022年度実績)ですから、グリスロによる社会参加によって要介護認定を受ける人が年に1.54人減れば、支出はプラスマイナスゼロ、同等となるという計算です。
市は、以上の内容を事業としてまとめ、下記のように「グリーンスローモビリティ地域推進事業」の公募を行いました。
公募の概要(団体は任意で可)
- 車両は1年単位で貸与(更新可)
- 運行は平日午前・午後1便以上 ※高齢者が外出する日中時間帯
- 市からの助成(初期導入10万円,運営費4万円/月)
- 65歳以上のドライバーや補助員には介護支援ボランティアポイント(既存事業を活用)を付与
「公共交通じゃなくて“移動”です」
さて、グリスロの事業化に際して大きな役割を果たしてきた中澤さんですが、その所属は、繰り返せば福祉長寿部です。市役所といえば縦割り文化というイメージがありますが、例えば公共交通を担当している部局から、「あなたのやっていることは管轄を超えている」と指摘されたりはしなかったのでしょうか。
「グリスロは、公共交通じゃありません」「地域内の“移動”の補完です」というのが、そうした際の中澤さんの反論でした。これは中澤さんにとっては、自身の公共交通に対する持論と矛盾しない、首尾一貫した理屈でした。
小金原一帯の地域では、まず路線バスがあり、さらに『テラスモール』というショッピングモールから出ている巡回バスがあり、そして病院への無料巡回バスがあります。こうしてバス事情だけ見ていると恵まれているようなのですが、実はここは、松戸市の中で唯一、鉄道駅がないエリアでした。さらに、高台には高級住宅地のイメージもありますが、その高低差が高齢者など交通弱者の移動のハードルをあげていることについては、最初にお話しした通りです。
ですから「グリスロはこの地域で公共交通を補完するための、あくまで地域内の“移動”手段である」「公共交通とは違って、乗車は無料。運転手は、地域より無償のボランティアを募る」という中澤さんのロジックは、市役所内外において、新鮮な驚きと説得力をもって迎えられたのでした。
半分以上の町会に導入を反対されて(2021年の実証実験に向けて)
渋谷さんが地区長および九丁目町会長を務める小金原地区では、各町会の長が集まって、松戸市の実証実験に乗るかどうか、すなわちグリスロを導入するか否かについての話し合いが持たれました。導入に積極的な渋谷さんは、万全を期して、説明のために中澤さんを呼ぶほどの力の入れようでした。ところが…。
「なんでこんなことをやらなければいけないんだ」。
「互助と言うが、仮に事故が起こった場合、責任は誰がどう取るのか」。
などと、喧々諤々。というか、否定の声が目立ちます。
「あの時は、実に半分以上の町会から反対されました」と、渋谷さんは回想します。
「多少の反対は覚悟していたんですが、まさか半分以上とは」。
渋谷さんは仕方なく、町会長が反対を表明した町会は除外して、グリスロのコースをつくることにしました。潮目が変わったのはそこからです。各町には、町会長のみならず町会員がいます。町会長の意見が、必ずしも町会員の意見を反映し切れているとは限りません。この町会員の皆さんが次第に渋谷さんの考え方に関心をよせ、反対の立場の町会長には、グリスロの必要性を掛け合ってくれました。
また、渋谷さんは「反対でも構いませんから、このチラシだけはぜひ配布してください」と、グリスロの運行に関する印刷物を託し、町会内への全戸配布を実現しました。すると町会の中でも「利用したいが、うちの町会はどうなっているんだ」という声が上がり始めました。こうして最終的には、当時の18町会のすべてが、事業に参加することになったのでした。
「結果、グリスロの導入によって、町会同士がぐっと仲良くなりました。それまでというのは、会議を開いた時に顔を合わせる程度ですから、町会長同士がお互いの顔を知っているというくらいだったんです。それが町会の役員レベルでも互いに知り合って、本当に親しくなった。さらに『グリスロの運転手』というボランティアを通じて、運転手さん、その息子さんや娘さんといった具合に、どんどん親しい顔見知りが増えていったんです。知り合いが増えすぎちゃって、もう名前が覚えきれないくらい」。
車種の選択肢(2022年の本格運行に向けて)
2度の実証実験で使われてきたグリスロの車種、YAMAHA AR-07は、ゴルフ場で見られるような簡素なカート式のモビリティです。外装(囲い、覆い)としては、薄いシート状のものをジッパーで開閉する仕組みになっていました。
これは暑さ・寒さを素通ししてしまう上に、雨や風が強いとき、乗り降りの度にお年寄りに出入り口のジッパーを開け閉めしてもらうというのも、現実的ではありませんでした。さらに、左ハンドルの輸入車なので、日本の交通状況に合わせて右ハンドルに変えるにも、カスタマイズの費用がかかり過ぎてしまうという問題が見えてきました。
そもそも、一般に販売されているEV車両に、時速20km未満のリミッターを設定できれば話は簡単なのですが、中澤さんが調べたところ、エンジンへの負荷などを考えると実現は難しいことがわかりました。
そこで、なんとか雨風をしのげ、多少なりとも空調を備えた車種がないものかと中澤さんが考えていたところ、東京大学の鎌田先生が「タジマ(株式会社タジマモーターコーポレーション)でこんな新しいクルマが出たよ」と、紹介をしてくれました。中澤さんは、そこで地区のドライバー候補の人々とともに静岡県袋井市にあるタジマ本社を訪問。その新型車を実際に運転するなどして協議した結果、これまで利用していたYAMAHA AR-07に加え、TAJIMA NAO-6J/8Jも、選択可能な車両に加えることになりました。
河原塚地区と小金原地区ではそれぞれ、TAJIMA NAO-6Jと同8Jを導入車両として選択。また松戸市としても、今後のグリスロ拡大に向けた実証実験車両として、TAJIMA NAO-6Jを購入しました。これらの車両はカートタイプのグリスロよりも外観がぐっとバスに近く、エアコンも標準搭載されています。
2022年当時,新型コロナは依然として猛威を振るっていました。タクシーなどでは、運転席と後ろの乗客席を飛沫防止シートで区切る安全対策をとっていました。しかしこの飛沫防止シートは車内を物理的に区切るものですから、グリスロで期待されるせっかくのコミュニケーションを阻害するのではと中澤さんは懸念しました。そこで自らが従事していた新型コロナ対策の経験を活かし、グリスロ車内には空気清浄機を導入することを決めました。グリスロ運行のイメージが、いよいよ見えてきました。
運転講習会の実施(2022年の本格運行に向けて)
グリスロの長所の1つは、自動車免許(普通免許)を持っていれば運転できるということです。ただし性能や運転特性などが少々違うので、運転講習が必要だと中澤さんは判断しました。実証実験段階で用いたYAMAHA AR-07の時は公道で行っていましたが、TAJIMA NAO-6J/8Jを導入するにあたっては、より本格的な運転講習を行うことに。たまたま地区の役員の一人が自動車運転教習所の社長で、顔見知りであったことから、中澤さんは、地域の教習所が休みの日(月曜日)を貸切にして講習会を行うことを思い付きました。
前述の通り、警察の協力を仰ぐ(いわば「当時者として巻き込む」)ことも、円滑な運行にとって大切です。中澤さんは千葉県警察本部まで足を運んで本部長に挨拶をし、運転講習の際にも、最寄りの松戸東警察署から来てもらって講習の一翼を担ってもらう(例えば2026年は警察署の講話ビデオを上映)など、本格的なグリスロ運行に向けて、ていねいに準備を重ねました。
さて、講習の当日、ボランティアとしてドライバーに応募してきた地域の人々に向けて、中澤さんは語りかけました。
「皆さん、今日は絶対に覚えて帰ってほしいことがあります。時速20kmの低速で走っていても、危険があれば、お客さんを乗せた状態で急ブレーキをかけなければなりません。グリスロはシートベルトが免除されているので、その時、お客さんが乗っていたらどうなるか。そのことを心に刻んでほしいのです」。
待機しているグリスロには中澤さんの言葉通り、模擬(サクラ)で「お客さん役」の人たちが乗っていました。そして将来のドライバー候補である地域の人々は、時速20km程度で急ブレーキをかけた時にお客さんに何が起こるのか、その様子を自ら体験し、その感覚をしっかりと持ち帰ったのでした。
この講習をクリアすると、市から「ライセンスカード」が供与されます。これを仕掛けとして組み入れたのも中澤さんでした。中澤さんはYAMAHA AR-07の実証実験時に自ら運転講習を受講し、その運転資格も、さらにはインストラクターの資格も取得していました。これらの取得の際、中澤さんはヤマハ発動機のライセンス制度に、「この仕組みは使える」と直感したのです。
「その仕組みを真似て、『あなたは正式に認定された、運転ができる人なんですよ』というライセンスカードを発行するようにしたんです。運転手の皆さんが、プライドや誇りを持てるようにね。スタッフジャンパーもつくりました。グリスロの施策には、僕があちこちで体験した美味しい部分、“モチベーションを上げる施策”が取り入れてあるんですよ」。
こうして、2度の実証実験という準備期間を経たのち、ついに小金原地区においてグリスロの本格運行が始まることになりました。予定日は、2022年10月30日。お隣の河原塚地区に1日遅れてのスタートでした。ところが本格運行の開始直後、大変なことが起こりました。グリスロが、事故を起こしてしまったのです。

本格運行の開始直後に起きた事故(2022年)
事故が発生したのは、11月2日の14時50分頃。場所は小金原公園付近の交差点。第一報を受けて、中澤さんや渋谷さんは…。
「とるものもとりあえず、事故現場に向かいました」と中澤さん。「まだ車両がありましたよ。被害者の方とお話しして、すぐクルマに乗せて病院に連れていきました」。
渋谷さんは「まず事務員さんから電話が来て。それからすぐに、親戚からも『ぶつかってるよ』って。情報が錯綜して事態がよくわからなかったんです。でも、場所のイメージができた段階で、すぐ現場に向かって。到着したら、もう中澤さんがいて。とにかく事故の状況をつかもうと」。
判明した事故のあらましは、赤信号で停止中の軽自動車に、グリスロが後方から追突してしまったというものでした。運転していたのは、75歳のグリスロドライバーの男性。他にも6人のグリスロ運転手が同乗しており、運転の習熟度向上と運行コースの再確認を行っているさなかの事故でした。グリスロ側の運転手・同乗者に怪我はありませんでしたが、軽自動車を運転手していた女性は頸部・両肩等に全治1週間程度の診断を受けました(いわゆる「鞭打ち症」)。しかし幸いなことに大きな怪我には至らず、任意保険については、松戸市が加入者として対応しました。
事故の原因は、アクセルとブレーキの踏み間違いでした。グリスロの車幅は、軽自動車と同じくわずか約1.5mというコンパクトさです。前席は2人席になっていますが、ハンドルの構造上、アクセルとブレーキの距離が近く、踏み間違えやすくなっていたのではないかと、中澤さんと渋谷さんは考えました。そこでメーカーと相談し、アクセルとブレーキの間を離すよう、設計自体を見直すことに。また、ペダルを両方とも踏んだ時にブレーキが優先される「オーバーライド機能」も備えることにしました。
加えて「当面の対応」として、松戸市は以下の内容を発表しました。
河原塚、小金原の二地域と協議し、以下のことを徹底する
・緊急時対応マニュアルを作成し、実地訓練を行う
・運転手の習熟度が上がるまで、乗客を乗せない
・助手席に補助者を同乗させる
事故は一部メディアに批判的な論調で取り上げられ、またYahoo!ニュースのコメント欄などでも「なぜプロに運転させないのか」といった意見が目立つことになりました。
互助でしかできないこと
しかし中澤さんには、確信がありました。
「互助でやっていること自体が悪いか、悪くないかって言ったら、私は絶対に悪くないって思っていたんです」。
例えば、プロのタクシードライバーが、グリスロ運行でハンドルを握っているとして、道端に人が座り込んでいたら、さて、声をかけるでしょうか?その点、地域のボランティアの運転手なら、「どうかされましたか?」と自然に声が出ることでしょう。もし「ちょっと具合が悪くて…」ということになれば、救急車を呼ぶなり、家まで送るなり、対応してくれるでしょう(実際、2025年度だけでも、そんなことが4回は起こっています)。しかしプロのタクシードライバーに、そこまで含め仕事と考えてくれというのは、とうてい無理な話です。
他にも、地域の人が低速で決まった時間に運行しているがゆえに、気が付けることがあります。「あの家の雨戸、いつも開いているのにここ最近は開いていないな」とか、「地域に関係ないナンバーの不審なクルマが長時間駐車しているな」といったことです。
ですから、被害者の方との問題が示談で解決したのち、グリスロを予定通り互助方式で運行することに関しては、中澤さんをはじめ、関係者の覚悟は揺るぎないものだったのです。

グリスロ、小金原地区を走り出す(2023年)
改めて、本格的な運行開始は、グリスロの修理と改装を待つこととなり、2023年の1月からと決定しました。乗客となる人々にとっても、ボランティアの運転手の人々にとっても、待望の運行開始でした。
東京大学の鎌田先生は、グリスロが地域に溶け込むうえで大切なポイントを教えてくれました。それは、グリスロに乗ったら、車内から手を振ること。「最初はね、恥ずかしさの極みなんですよ」と、中澤さん。「でも、定着してくると、ごく当たり前にそういうことができる。要は地域の人に、どうやって愛着を持ってもらうかというのがすごく大切なんです」。
渋谷さんは語ります。「グリスロのコースは公園や保育園なんかを通るので、乗客からすると孫みたいな保育園生や幼稚園生がたくさんいるんですね。グリスロはオリジナルの音楽を流しながら走っているのですが、それが聞こえると子供たちがみんな、わーっと外に出てきて手を振ってくれる。乗っている高齢者の皆さんがすごく喜びます。中学生や小学生も、普通にみんな手を振ってくれます。いまではもう、すっかり自然なことになっていますね」。
こうしてグリスロは、小金原地区を走り始めたのでした6。


Part 3. ただのモビリティじゃ、もったいない
松戸市のグリスロ施策に見られる発想の転換は、これからの地域の移動のあり方に、新しい光を投げかけるものといえるでしょう。
バスを使う人が少なく路線バスが事業として成立しない場合、地域のバス、タクシー会社などに市町村が運行業務を委託します。これに対して松戸市では、市の所有するグリスロを地域の自治会に貸与し、無償のボランティアを募り、乗車料金を無料として“互助の仕組み”を作り上げようというのです。
それだけではありません。グリスロを単なる「地域内の移動手段」に終わらせない数々の工夫にも、小金原地区にグリスロを根付かせた、大きな理由がありました。
登場人物の紹介③ 今泉 麻美さん(旧姓:小暮さん) 生まれも育ちも松戸市小金原地区。子どもが中学校を卒業するまでPTA活動に取り組んだ後、2023年頃より町会活動に本格参加。現在、カフェ・エステサロンを経営しながら、小金原九丁目町会副会長、グリスロのドライバー、民生委員・児童委員、防犯指導員などにと、多岐にわたり活動中。みんなで楽しく何かを成し遂げることが大好き。
数字で見る小金原地区
ここで、物語の舞台となっている小金原地区を、数字で見てみましょう。
総人口は27,541人。うち高齢化率は33.0%と、松戸市の平均25.7%よりもかなり高くなっています。75歳以上の人口比率は19.3%(松戸市平均13.4%)と、後期高齢者が多いことも特徴です7。
地域活動が盛んであり、元気なシニアも多い一方で、8050問題(80代の高齢の親が、50代の子どもを経済的に支えること)に象徴されるような、ひきこもり状態や障害のある家族といった複合的な課題を抱えたケースも多々見受けられます。
コース上のどこでも乗れる・降りられる
グリスロの運行は、月〜金で、日替わりの5コース。午前に3便、午後に3便が走っています(2026年1月現在)。
何時にどのポイントを通過するかというタイムテーブルはありますが、バス停はありません。グリスロがコースを巡ってきたら、誰でも、どこでも、手を挙げれば無料で乗車でき、逆に降りたい時にも、コース上でどこでも降りることができます。
さて、この日替わりのコースは、どのようにして決まったのでしょうか。
中澤さんはこう語ります。「私、最初にGoogleマップを見ながら『ここの曜日はこうで…』って勝手にコースを設定したんです。それで地域の人に見せたら『違う』って言われまして。『あなたはこのスーパーの特売日がわかってない。特売日の開店時間に合わせて行かないと意味がないでしょ』って」。
これは地域の人じゃなければわからない、と中澤さんは笑います。
動くサロン
「皆さん、上手に使っているんですよ。どこどこのお店で売ってたあれ、美味しいから作ってごらんなさいって言って、売り場までちゃんと連れて行ってくれてね、夕食をつくる情報交換の場にしたり」と、中澤さん。
また、渋谷さんによれば、こんなこともあるとか。
「けっこう、違う町会の利用者さんが乗り合わせることもあって。『うちの町会、こういうことやってんのよ。そっちはやってないの?』という話になったりするから、伝え聞いた町会長が『え?』って。町会同士で競争状態になる。知らない人同士でも、そこまで話が弾むことがあるんですよ」。
グリスロというコンパクトで親密な空間と、地域のものだという安心感がこれを可能にしているのかもしれません。運転手も含め、顔見知りや、そうでなくとも同じエリアに住んでいる人が同じ空間にいるから、なんとなくお喋りが始まるのです。
「皆さんおっしゃるんですけど、まさに『動くサロン』という感じですね」と、運転手を務めるボランティアの1人である、今泉 麻美さんは語ります。
今泉さん、グリスロと出会う(2021年・2023年)
「渋谷さん、あれ何?」。
実証実験(2021年)の頃、ゴルフカートのような車両が近所を走るようになったことに気付いた今泉さん。その質問に、渋谷さんは「みんなのバスだよ」と答えました。
「えー、そうなんだ。なんか面白そうなのが走るんだね」。
いったん話はそれきりとなったのですが、しばらく経つと、今度はより大きくて、バスに近いかたちのクルマが走り始めました(2023年)。
再びそれに気付いた今泉さんが渋谷さんに「今度のあれは何なの?」と聞いてみると、渋谷さんはいたずらっぽく「麻美ちゃんの家の前もバス停なんだよ」と答えました。
「自分の家の前がバス停ってどういうこと?」と、一気に今泉さんは惹き込まれました。話が“自分ごとになった”と言い換えてもよいでしょう。聞けば、運転手は地域の人たちが務めており、普通免許があれば運転できるとのこと。好奇心旺盛、行動力抜群の今泉さんは、一も二もなく、教習所に講習を受けに行きました。
こうして、地域にまた1人、新しい運転手が誕生したのでした。
PTA会長から民生委員、そしてグリスロ運転手まで
今泉さんは民生委員・児童委員8であり、カフェの店長であり、エステサロンを経営しているなど、さまざまな顔を持ってパワフルに活動しています。その原動力やバイタリティは、どんなところからやってきているのでしょうか?
「もともと私、何か目的を持って、みんなで成し遂げることがとっても好きで。例えばPTAだったら、子どもたちが楽しい生活を送るために、親たちが何をどうすればいいのかな?って、そういう目的に向かうこと」。
「それでPTA会長を10年くらい続けてきたんですけれども、子供が高校生になりまして。そこで仲の良かった渋谷さんに『何か私ができることないかな?』って聞いてみたら、ちょうど民生委員の応募があったので、『これ、私にできるかしら?』って、その流れで町会に関わるようになったんです」。
「それから私、ご高齢の方も大好きなんです。子供のことももちろん好きなんですけど、年齢を重ねられた重みや、味がある。自分が知らないまちのことや昔のことをたくさんご存知だから、知識の宝庫みたいな感じがして、お話しさせていただくのが大好き。昔ってそうだったんだ、と書き留めながらお話を聞いたりします」。
今泉さん(旧姓:小暮さん)の家系は、江戸時代から、この地に住まい続けています。そのため今泉さんは小金原が大好きで、「魅力あるまちになってほしい」との思いから、さまざまな活動に積極的に関わってきました。そんな彼女にとってグリスロの運転手は、まさに自分にうってつけのボランティアに映ったのでした。
脱・固定観念
「グリスロを、単なるモビリティに終わらせない」「地域で考えうる限りのアイデアを活かせるようにしたい」というのが、中澤さんの思いでした。そのためグリスロには、いくつかのユニークな仕組みが埋め込まれました。
例えば、グリスロでは全国初となる、青パト(青色回転灯)の装備。青パトは防犯パトロールのできる車両にしか取り付けることはできません。その許認可はパトロール地域を管轄する警察署が行うことになっているため、小金原地区のグリスロも、署に正式に申請した上で認可を受けています。
また、パトロールの実施者は、実施者証の交付後、約2年ごとに「青色防犯パトロール講習」を受講する必要があります。そのためグリスロのボランティア運転手の人々は、同時に青色防犯パトロールの講習も受けており、実施者としての資格を2年ごとに更新しているのです。
それから、グリスロに太陽光発電のためのソーラーパネルが積んであるのも特徴です。これは災害時の給電システムとして機能し、例えば停電等の緊急の場合でも、このグリスロに集まればスマートフォン等を充電することができます。地域を走るグリスロは、災害時の安心に直結しているのです。
さらに、グリスロは放送設備を備えているので、周囲にメッセージを発信しながら走行することもできます。例えば青パトと組み合わせれば、防犯・交通安全活動用のクルマの出来上がりです。
中澤さんはこう語ります。「私が使った口説き文句の1つなんですが、『皆さんは年末年始、歳末警戒やるでしょう?いつも拍子木を持って『火の用心』って歩いて廻っていると思いますが、このグリスロに乗って、パトロールランプを付けながら放送で流しちゃえば済んじゃいますよ』って」。
「放送設備については、ラッパで音を出しながら走る、豆腐屋さんのイメージで作ってもらったんですよ。だからまあ、実益はもちろん大事ですけど、遊び心半分みたいなところもありますね」。
いわゆる「グリスロ」「交通手段」に対する固定観念があったなら、こうした仕組みを埋め込む発想には、きっと及ばなかったことでしょう。中澤さんは、「それはグリスロに過ぎないのか、それとも地域活性化のためのツールなのか」ということを常に考えていると語ります。
「市がグリスロを提供(1年単位で貸与)した時の条件は、『平日2便を動かせば良い』ということ、それだけなんですよ。その点、小金原地区では、午前3便、午後3便を走らせている。逆にいえば、その他の時間、何にどう使おうが自由なわけです。夜、充電さえできればいい。じゃあ、どう活用するのか?それを地域で考えることこそが大事だと思っているんです」。

付加価値の高い車両で、地域を活性化
地域でグリスロを運行する渋谷さんの側でも、それに応えて次々とグリスロの可能性を広げていきました。例えば、最初は高齢者が利用するイメージだったグリスロを、『おやこDE広場』(0歳から3歳の乳幼児とその保護者が気軽に集える場)への送迎などに用いて、小さな子どもたちや若い親御さんたちが利用できるようにしたのです。
さらには『認知症カフェ』への送迎も行うことで、要介護認定を持つ認知症の人たちやそのご家族も、グリスロに乗るようになりました。
選挙の時にも大活躍です。高齢者と坂の多い小金原の中でも、九丁目エリアは特に投票率が低い地区でした。そこで投票当日には、備え付けの放送設備を使って「本日は投票日です。皆さま、覚えていますか?ただいまグリスロでは投票所までの運行を行っています」などと呼びかけながら、エリアを周回。満席となれば「30分後にまた来ます」とアナウンスして、投票所までをピストン運行しました。「その結果、九丁目エリアが、小金原地区のなかで投票率トップになったんですよ」と、今泉さんは語ります。
活用のアイデアは尽きません。小金原地区のグリスロの運行は月〜金で、土日は運休となりますが、代わりに地域のイベントに貸し出され、予約でいっぱいになります。お祭り、特に秋祭りのシーズンなどは予約が重なってしまうこともしばしばです。
ほかにも、認知症カフェのお客さんなどから「そろそろお花見に」といったリクエストがあれば対応します。また小金原地区は南北に長く、歩くにはつらい距離のため、北の人を南へ、南の人を北へ運んだりもします。以前は地区の中央で年5回行っていた、独居の方対象の食事会(社会福祉協議会主催)は、グリスロが南北から満遍なく高齢の方々などを送迎できるようになったため、2026年現在では年10回の開催となりました。
2025年の6月7日に松戸市で開催された、第36回全国『みどりの愛護』のつどいに、秋篠宮皇嗣同妃両殿下がご臨席あそばされました。その際、記念植樹会場への移動手段とされたのも、グリスロでした。その様子は関係者の方々の胸に、松戸市の象徴として、またモビリティの未来として刻まれたことでしょう。
地域の活性化という意味では、「ボランティア」(グリスロの運転手や、後述する補助員や青パトの乗員)に着目することも欠かせません。「何らかのかたちで地域の役に立ちたい」という人たちが、たくさんいます。それらの人たちの思いをうまく掬い上げて、ボランティアとして参加してもらうことによって、支え、支えられる「互助」の関係が成立し、地域が活性化していくのです。


100人を超える運転手と、その予備軍
現在、小金原地区では、70代を中心に、100人を超える運転手がボランティアとして登録されています。これだけの人数がいると、(運営側にとってはありがたい悲鳴ではありますが)「運転したい」人が、なかなかシフトに入れません。2ヶ月以上も運転待ち、といった状況はザラになっています。
そして、2026年現在、運転の主力を担っている70代のリタイア世代に次ぐ、運転手予備軍ともいうべき人々を育てる必要性もあります。先に述べたグリスロドライバー向けの講習は、教習所が定休日の月曜日となっているわけですが、たまたま祝日と重なった月曜日に講習を開いたところ、多くの若い人々から受講の申し込み・登録がありました。このように若い世代の想いを受け止め、受け入れていくことも、今後の課題となってきそうです。
また、小金原地区を含む松戸市で運行しているグリスロには、運転手のほかに、助手席に補助員が乗っています。運転免許は不要で、お客さんの乗降介助やグリスロの後方確認、左オーライ、そして車両がバックする際には必ず降りて運転手をサポートするなどの役割を果たしています。「免許を持っていない」「高齢なので免許は返納したけれど」といった人々が、この補助員のボランティアとして参加しているケースも多く見られます。
中澤さんは語ります。「グリスロの運転手や補助員というボランティアをきっかけに、皆さんがモビリティに限らず、もっと色々な地域貢献ができるようになったら素晴らしいですよね。そういったアイデアもいま、渋谷さんと練っているところです」。
「グリスロが青パトを兼ねているのとは別に、その後、純粋な青パトも購入して、走らせるようにしたんですよ」と、渋谷さん。「100人以上の皆さんが資格を持っていらっしゃるのに、肝心のグリスロが人気すぎて、運転できないことが多いものですから」。
謝礼の仕組み
運転手は無償のボランティアですから、お金こそ支払われませんが、代わりに松戸市役所からのボランティアポイントが用意されています。もとになったのは「介護支援ボランティアポイント」という制度で、65歳以上の元気な高齢者の人々が、例えば特別養護老人ホーム(特養)に行ってボランティア活動をすると、1日2ポイントをもらえるというもの。年間で上限5,000ポイントまでしかもらえないことになっており、それを商品や現金(1ポイント=1円)と交換するという制度でした9。
この制度をベースに、中澤さんが「年間5000ポイントでは足りない」と判断し、「半日500ポイント」「年間上限制限なし」という仕組みにつくり変えたのでした。
そのときに中澤さんが思ったのは「いや、そもそも『元気な高齢者』に交付対象を絞ることはないんじゃないか?」ということでした。そこでまずは、要介護認定された人もポイント給付の対象に。さらに中澤さんは、従来の高齢者施設に加えて、子ども、あるいは障がい者の方の施設等に対するボランティア活動も給付対象にしました。「だけど、根本のところで『なぜ65歳未満の人にはポイントが給付されないのか』という問題が残っているんです。けれども私が異動になってしまったので、なかなか働きかけが難しいですね」。
今泉さんも中澤さんの考え方に賛同しています。
「若い人たちが来てくれるようになるために、どの年齢でも500円のポイントが入るようにしてほしいです。ボランティアって、良いようでいて、悪い側面もありますよね。興味を持ち始めた最初の段階は良いけれど、だんだん慣れてきて興味も薄れてくることがある。そのときに、たかが500円分のポイントかもしれないけど、きちんと対価をもらう。それが『社会に貢献しているんだ』という感覚を、一回一回、参加者の心に根付かせるんだと思うんですよね」。
「ゾーン30」の導入(2023年)
「ゾーン30」という取り組みがあります。これは国が主導して、区域を定めてその内部を走るクルマを30km/h以下に規制し、区域内の交通安全を進めようというもの。クルマが30km/hを超えると交通事故時の死亡率が急増することが、根拠となっています。現在、生活道路10におけるゾーン30の取り組みが進められており、2026年9月1日には、生活道路の法定速度が原則として30km/hに引き下げられます。
渋谷さんは、グリスロを地区内に走らせた立役者として、いちはやくこの取り組みに呼応し、グリスロの導入以来、地区内のスクールゾーンにゾーン30を導入して、対象エリアを広げてきました。
「小中学校の登下校時間帯、ゾーン30にした区域に見回りにグリスロを走らせると、交通安全になるんですよ。周囲のクルマも、必然的に車速が落ちますしね」。
このように、地区のチャレンジを国の政策とマッチさせることによって、小中学校の生徒たちの安全が高められているのです。
ステッカーは地域協力(スポンサード)の証
グリスロは低速でしか走行できない仕様なので、たとえ市内でも、長距離の車両移動は大変です。そこで中澤さんは、実に中澤さんらしい解決法を取りました。
どうしたかというと、中澤さん自身のマイカーを取り扱っている自動車ディーラーに赴き、ディーラー所有のキャリアカー(新車、事故車などのクルマを運ぶためのクルマ)を、使わせてくれないかと交渉したのです。
「ここのキャリアカーってそういう目的に使えるの?」
「面白いですね」と、ディーラーのジェネラルマネージャー。「そういうことでしたら、お引き受けしましょう」。
ここで解説すると、キャリアカーというのは運搬のためのクルマではありますが、緑ナンバー(運賃を受け取って他人の荷物や人を運ぶ営業用車両に取り付けられるナンバープレート、およびそのクルマ)ではありません。つまり所有者のイエスを取り付ければ、特段運賃を支払わずして、グリスロを運ぶことができるというわけなのです。
もちろん、見返りなしにそのようなことをお願いしたわけではありません。中澤さんの提案は、「協賛企業」として、そのディーラーの大きなステッカーをグリスロの車体に貼るというもの。地域の資産として認識されつつあるグリスロが、まさに広告塔のように「地域の試みを応援する、地元密着企業ですよ」と協賛企業であるそのディーラーを宣伝してまわる役割を果たすというわけです。
中澤さんは、仕事と同様、遊びにも手を抜くことなく真剣です。すると仕事以外でも人とつながり、仲良くなり、こういった場合に協力者(この場合はジェネラルマネージャー)となってくれます。「色んなところに顔を出して、遊んで、つながっていくと、面白いことが起こるなっていつも思っています」。
渋谷さんもまた、グリスロについて地区の人々の理解を得るべく、この広告の仕組みを含め熱心にアピールをしていました。すると近所のゴルフ仲間(実はお蕎麦屋さん)に「そういう仕組みがあるならぜひ寄付するよ」と言われ、そのお蕎麦屋さんは大口のスポンサーとして、一番大きいステッカーがグリスロの車体のもっとも目立つ位置に貼られることになりました。
そうすると、次第に地域の企業や商店から「あそこにステッカーを貼るにはどうしたらいいんですか」という問い合わせが来るようになりました。グリスロの地域への定着にともなって、「グリスロを通じて、何らかのかたちで地域貢献したい」という事業者が増えてきたのです。
「要は地域の人たちが、企業も含めて、地域への参加機会・参加方法が分からないんだろうなって。CSR11とか世間では言われているけれど、やりたくても具体的な手段や方法が見つかっていない人たちがたくさんいるんじゃないの?と思っていたんですね」と、中澤さん。

高齢者の「生きがい」や「地域デビュー」に
渋谷さんが、グリスロ導入反対の町会をも押し切って「とにかくチラシ配布だけは協力してほしい」と全戸配布にした次第については、先にお話ししました。このチラシ配布は、かなりの反響を巻き起こしました。普段は町会に関わったり手伝ったりしていない人々からも、ボランティア運転手への多数の応募があったのです。
さらには現在、ボランティア運転手の経験を経て、町会運営を担うようになった人々もたくさん出てきており、どの町会の運営にも、チラシ一枚から始まったポジティブな影響を見て取ることができます。
ボランティア運転手の募集は、町会だけでなく応募者にとっても、望ましい結果につながりました。松戸市は東京のベッドタウンです。ということは長い時間をかけて東京の職場に通い、同じ時間をかけて帰ってきて、極端にいえば、夜は寝るだけの生活になってしまいがちです。すると、定年後に地域での生活が中心となったときに、人間関係の蓄積がなく、いわゆる“地域デビュー”(地域の交際関係のなかで、自分の居場所を見つけること)がむずかしくなるわけです。グリスロはそんな状況下で、定年後の地域の人々に「ボランティア運転手」という社会的役割を与えてくれたのでした。
「あんなに人に感謝される経験をしたのは、初めてです」と、これは運転手を務めてみて、乗客からの感謝に感激した人の言葉です。実はこれは誰あろう、グリスロの導入に一番反対していた町会長の感想でした。
現役時代にどのような仕事をしていたかにもよりますが、顧客や生活者との直接の接点がなければ、心からの感謝の言葉を日常的に受け取る機会は、なかなかありません。そこにグリスロが大きな変化をもたらしたからこそ、導入に反対していた町会の人たちも、すっかり応援者へと変わったのでしょう。
この社会で、誰かが誰かを必要とし、あるいは誰かが誰かに必要とされる。たとえ直接の知り合いでなくとも、そのような関係においてふと、真の心の交流が生まれることがあります。そうした交流を通じて人は、感謝の気持ちや、明日への生きがいを育むのです。
守破離の精神
アイデアと実行力の塊のように思える中澤さんですが、意外にも自分自身のことを、このように分析します。
「役所のなかで管理部門ばっかりやってきて、制度の利用の仕方を深く知っているから、それでこういうことができるんじゃないかな?」
そして、千利休の百首の最後の一句と言われる「守破離」の精神に例えて説明します。「『規矩作法 守りつくして破るとも 離るるとても 本を忘るな』ってやつで。基本がわかっているからこそ、それを破りながらも、いろんなことができているのかも。例えばグリスロといえば、少なくとも人の移動を実現しないといけないわけじゃないですか。その基本を実現した上にオプションで何が付けられるかを、私は一生懸命考えています」。
制度とコーディネート
ですが残念ながら、地域の人たちが各種の補助制度や、国の町会自治会・自治体向けの補助金制度の詳細を知っているかというと疑問が残ります。使える制度はいろいろあるのに、適切に情報が提供されていないわけです。
「それはある意味、行政が縦割りすぎるんですよ。自分たちの範囲を越えたところに、地域が自由に使えるお金がこれだけあるのに、周知されていない。それに役所に限らず、いろんなところに支援してくれる人はいるわけです。普通だったら、なかなかそういうことまではわかりません。ですから、一連の情報の取得から支援までを、知識を知恵に変えて、トータルでコーディネートできる人材が必要なんでしょうね」。
…と現状を分析しつつ、最後に聞く者を煙に巻くような一言を残すのを、中澤さんは忘れません。
「まあどっちかっていうと私は、遊びのように楽しく仕事しているもんだから。できない理由を考えるより、『どうすれば実現できるかな?』っていうのを考えたり話したりしているだけ、みたいなところはあるんですけどね」。
Part 4.「グリスロがあるから、生きていられる」
「ありがとうね」「本当に、グリスロがあるから生きていられるよ」。今泉さんが運転手をしていると、そんな声をかけられます。それも、別々の人から、何回も。それくらいグリスロは、地域の人々の移動を支えるだけでなく、精神的な支えにもなっているのです。
「お年寄りにとってみれば、なにしろ洗剤1つだって重たいじゃないですか。でも、この乗り物があるから、いつでも自分は買い物に行ける。不自由なく日常生活を送ることができる。そういう安心感が、『生きていられる』という言葉につながっているんじゃないかと思うんです」と、今泉さん。
地域の老若男女が「普通の毎日」を過ごすために。そして同時に、地域活性化のタネを撒きながら。今日もグリスロは走ります。
登場人物の紹介④ 大竹 みどりさん 生まれも育ちも松戸市。小金原地区社会福祉協議会の設立当初(1997年)より、非常勤職員として勤務。グリスロの運行管理や予約受付を担当し、夏場は冷たい飲み物を用意して、ドライバーや補助員の熱中症対策をするなど、きめ細かな心遣いの持ち主。犬の散歩で立ち寄るドライバーのために、事務所に犬のおやつを常備している。
脳トレのように乗り尽くす
地域の人たちは、グリスロでの移動に慣れてくるにつれ、次第にかしこく乗りこなすようになってきました。お友達とそれぞれ別の場所から乗ってきて、一緒にお買い物をしてから、それぞれの場所に帰る。我が家の前でグリスロを呼び止め、知り合いの乗車を待って、どこに出かけるでもなく、車内で話に花を咲かせる、などなど。
今泉さんは語ります。「歯医者さんに通う方で、ひときわかしこい方がいらっしゃって。最初の1便から乗って、ひとまず支所に行って。そこのスーパーでお買い物をして、2便目のスタートに乗って違うスーパーに。また支所に戻ってきて、そこで歯医者さんに行って。今度は午後の1便に乗って…という具合で、その日のグリスロをほぼ乗り尽くしているんです。ほとんど『脳トレ』のようで、本当に驚かされます」
もう1つのサロン
小金原地区のグリスロの事務所は、小金原地区社会福祉協議会(いわゆる「社協12」)の中にあります。実はこれは特筆すべきことです。通常、グリスロのような事業は主として自治会や町内会、地区会といった組織によって担われることが多く、社協の仕事の範囲ではないのが一般的だからです。また、自治会や町内会の地理的範囲は、社協のそれとは一致しないのが普通です。
しかし設立されて29年が経つ小金原の社協は、その範囲が地区会の範囲とぴったり一致している上に、伝統的に、地区会と協力しあって地域内での役割を果たしてきました。そこで、小金原にグリスロが導入される際にも、ごく自然に、その事務所としての役割を引き受けることになったわけです。
こうしてできた場所である「事務所」は、グリスロ運行における「もう1つのサロン」です。渋谷さんはじめ、ドライバーさんたち、利用者さんが折りにふれ立ち寄るので、いつも賑やか。おしゃべりに花が咲いています。設立当初から社協にお勤めの大竹さんは、グリスロの運行が人と人をつなぎ、そして地区会と社協を自然につないでいる現状を「双方の組織にとってプラスになっていると思います」と語ります。
乗らなくなったおばあちゃん
グリスロの常連で、週に1回、必ず利用しているおばあちゃんがいました。ところがそのおばあちゃんが、最近パタリと姿を見せません。渋谷さんは「あの人どうしたんだろう?」と心配し、いぶかっていました。
するとある日のこと。そのおばあちゃんが、ジュース一箱を手土産に抱えて、くだんの事務所(小金原地区社会福祉協議会)にやってきたではありませんか。そしてこう言うのです。
「お世話になりました。もう私は歩けるようになりました。歩くんです」。
そうして、さっそうと事務所を後にしていきました。おばあちゃんはグリスロで活発に外出するようになったため、弱っていた足腰が鍛えられ、再び歩けるようになったのでした。グリスロなしでは成し得なかった、同時にグリスロからの卒業ともいうべき、ユニークなエピソードです。
利用者の声と、導入の成果
グリスロの導入は、さまざまなメリットを小金原の住人にもたらしました。
「坂道を気にせずに出歩けるようになった」
「普段使いの足ができて便利」
「億劫がらずに外出できる」
「グリスロに乗ること、それ自体が楽しみ」
「普段行かない地域の様子が見られる」
「グリスロがあるから、免許を返納することができた」
「免許返納後も、趣味の活動を続けられている」
「図書館にも行くようになった」
「ボランティアとして地域デビューができた」
「利用者からの感謝の声に、役割や生きがいを感じた」等々。
これらは利用者の肉声による評価ですが、それでは、導入のインパクトを数値で測ることは可能なのでしょうか?これについては先にお話ししたように因果関係の特定が難しいため、「グリスロの導入によって要介護認定率が下がった」と、即座に断定することはできません。
ですが、要介護認定率については、新規認定の数字を追うことで「その可能性はある」ということを確認することができます。ここでは比較のため、松戸市全域の数字を参照してみましょう。
小金原地区へのグリスロの導入は、2022年度後半です。コロナ前の2019年度(すなわちグリスロ導入の効果がまだ現れていない年)前期高齢者の要介護認定者における新規認定率は、松戸市では26.2%。対して小金原地区は23.4%となっていました。
次いで、グリスロ導入を受けた数値となる2023年、特に前期高齢者(65-74歳)に注目してみましょう。松戸市では26.0%。比較して小金原地区は、22.9%となっており、要介護者の新規認定率が、市の全域と比較して、目に見えて下がっていることがわかります。
何か確かなことをいうためには、あくまで今後の継続的な調査と研究を待たねばなりませんが、グリスロ導入が介護予防につながるという仮説は現在のところ、棄却されていないといえそうです。
また、先ほどお話しした、グリスロから“卒業”したおばあちゃんのようなエピソードは、グリスロ導入が介護予防につながる一事例として捉えることができるでしょう。
グリスロの真価は「波及効果」
中澤さんはこう持論を語ります。「グリスロは通勤・通学手段にはしてはいけない」んです。「そうすると、ライフライン(生命線)になっちゃうじゃないですか。デューティ(義務)にしちゃいけないんですよ」。
実は、荒天時や降雪時には、小金原地区のグリスロは運行しません。「それが、サービスではなくて互助ということです。お互いに助け合う仕組みなんだから、限界を超えてまでやる必要はないんですよ」。渋谷さんも「住民の方々も、その辺りは了承済みで利用されています」と語ります。
さて、小金原地区にはUR賃貸住宅(旧日本住宅公団)の団地がありますが、次第に空き家が増えてきているという課題があります。「でも、グリスロの影響で、この周辺が利便性の高い地域だということになれば、団地の改修につながったりといった波及効果が期待できますよね。グリスロを導入するメリットって、そういった波及効果にあるんじゃないかな?と、いつも思っているんです」と、中澤さん。「グリスロを導入する際、移動手段としての機能、それだけに固執していると、実現が難しかったり、周囲の反対にあったりするのではないかと思います。ですからもっと柔軟に『グリスロというツールを使って、地域に何を実現したいのか』をはっきりさせた方がいいというのが、私の考えです」。
互助モデルのメリット
中澤さんはこう分析します。「交通サービスに対する地域の要望として、例えば『コミュニティバスの本数が少ない』とか、いろいろありますけれども、実際よくよく聞いてみると、地域内を移動したいのが大半なんですよね。そんなに遠くに行くつもりはない。そうすると、エリア範囲内で、どうやって移動を実現するか」。
「ですが申し訳ないですけれども、例えば通院のニーズに全部対応するのは不可能です。だって、みんな好き好きに曜日をオーダーしてきちゃうから。これをもしバスやタクシー事業者に委託するかたちでやったら、たしかに要望に応えるような仕組みはできてくるでしょう。でもそれで、採算が取れますか?」
「だから、個人の要望にはすべて応えることができないという前提で、この互助の仕組みはつくられているんです。コミュニティバスは、予算をかけて空気だけ運んでいるっていう批判をよく受けますよね。そういう採算の観点から見れば、この互助モデルは、費用を最低限に抑えながらも、良い効果を出しているといえるんじゃないかと思います」。
町会が、地域が変わった
小金原地区はグリスロ導入当時、18の町会13がありましたが、活動の盛んな町会とそうでない町会との差が激しかったと渋谷さんは回想します。そこにグリスロが、町会と町会とを物理的に貫いて走るようになりました。グリスロが、地区全体をいわば縫い合わせて、その精神的連帯を深めるといった現象が起きてきたのです。
「正直な話、イベントも何もやっていないような町会も半分近くあったんですね。それがグリスロの導入によって、車内で人と人の情報交換が起きるようになった。それでいまでは、ほとんどの町会が何かしらイベントを行うようになって、地区全体が活性化したんです。僕にとっては、すごくうれしいことです」。
「いままで、運動会だとか何だとか、各町会のイベントを見ることってなかったんですけど、グリスロ1台で、隣の町会、その隣の町会へと、輪が広がるもんだなあと。先日も、初めてのことなんですが、すべての町会合同で祭りをやろう、1町会1店舗ずつ出店しようと提案したら、みんなすごく協力的で、話が盛り上がりました」と、渋谷さん。
中澤さんは、こんな風に捉えています。「いま、都市化が進んで、いわゆる『土地の人間関係』が希薄になってきているって言われますけど、実はポテンシャルは山ほどあって、きっかけだけなんだろうなって思っているんですよ。中心的なきっかけさえうまくつくれれば、いけるんじゃないか。他の地区でそれがうまくいかないとしたら、上の人たちだけで、頭だけで考えちゃっているから。そこへいくとここの九丁目町会、役員に女子高校生を入れちゃうんだから14」。
「それにいまでは、役員に現役大学生もいますね」と、渋谷さん。「2025年の町会自治会サミットでは、その彼が発表者になりましたよ」。
若者の声はぜんぶ聞く
地区長として、渋谷さんは普段から「若い子の意見はぜんぶ聞く」と公言しています。
例えば地元の夏祭りを控えて、大学生から「夏祭りステージでこんなことをやりたいんだけど」と持ちかけられれば、返事は「いいね、やろう」。
「ステージのスケジュール、いっぱいに埋まってるんじゃないの?」。
「埋まっているけどいいよ、空けるから」。
こんな調子ですから、年かさの人々からお叱りの言葉を受けることも。
「でもいつでも、若者の言うことは絶対にOKだよね」と、今泉さん。
「そのオープンな姿勢が、すごくいいことだと思う」と、渋谷さんの姿勢に感心しています。
しかも渋谷さんは、即断即決の人ではありますが、必ず周囲に「これ、どう思いますか?」と確認することを忘れません。他人の意見を聴く力と、素早く役所に掛け合うような行動力とを、持ち合わせている人物なのです。
渋谷さんはもともと、町会長という役職には興味がありませんでした。それが前地区長の方から請われ、「好きなようにやってくれ」と頼まれたことで、町会長になったという経緯があります。
「それで、自分がやるならばまず、会議の日程を変えよう、と思ったんです」。
それまでの平日の慣行を廃し、「会議は土日のみ」と変更。すると若い町会長が増えてきて、現在は40代、そして30代の町会長もいます。
なかでも九丁目町会は、役員約30名が全員、現役世代(高校生、大学生含む)という、とびきり異質な年齢構成になっています。それがグリスロ施策を含めた町会の意思決定に大きな影響を与えていることは、言うまでもありません。
アイデアは膨らむ
中澤さんが生み出すアイデアは、関係者に「面白い!」「いますぐできそう!」「やってみたい!」と思わせる力を持っています。
「例えばね、このエリアって有名なパン屋さんやケーキ屋さんがいっぱいある。だからグリスロでグルメツアーとかやったらいいんじゃないかな。住んでいても、行ったことのないお店はいくらでもあるわけだし、地域外の人も呼べるかもしれないしね。いつも並んでいるお店に、開店前や閉店後にちょっと優先して入れさせてもらうとか。楽しそうでしょう?」
「他にも、ドライバーとして500回に到達した人には特別なメダルなんかを用意して出してあげる、そういう仕組みとか。地域に貢献した証があると、きっとうれしいですよね」。
「いま、スーパーなんかで2,000円以上お買い物すると、自宅に配送してくれるサービスがありますよね。あの貨客混載の仕組みだって、グリスロで実現できる。地域を踏まえて、利用者と事業者、双方の話を聞いてマッチングしさえすれば、いろんな事業が展開できる」。
中澤さんはいつでもこんな具合に、何かを思いついたら、口に出しては周囲と共有しているのです。
社協の大竹さんいわく、そのアイデアを具現化する「最強のコンビ」が、渋谷さんと今泉さんです。先日もこんなことがありました。社協にあるグリスロの事務所に皆が集まり、アンケートに目を通していたところ、「グリスロが走っている場所がわかりにくいので、バス停のようにポールを置いてほしい」という要望を目にした中澤さんは「歩道に置くと、道路占用許可が必要で面倒だからなあ」「…でも、民家の壁に貼るなら無料だね」と、息をするようにアイデアを提示します。
それをすかさずキャッチした今泉さんは、渋谷さんと、そして周囲にいたドライバーの皆さんを巻き込んでアイデアを展開。「町会員の家の壁なら貼れるよね?」「『こども100当番の家』みたいなイメージはどう?」「ホワイトボードに通行時間を書き込んだらどうだろう」等々と、盛り上がります。こうして小金原地区のグリスロは、折々のアイデアと活発な議論のなかで、また姿を変えていくのです。
江戸時代の昔、小金原九丁目付近は、渋谷家と小暮家(今泉さん旧姓)を中心とした2つの村だったそうです。その両家にまつわるお二人がコンビで現在の小金原地区を引っ張っていることは、不思議なご縁のようにも感じられます。
乗せて、走って、全国最多
現在の車両の装備に関して、中澤さんは心残りがあるようです。「車椅子の人たちが乗れないんですよ。車両の導入時に、ドアを付けて乗れるようにしてくれって言ったんですけど、技術的に実現できなかった。ところが新しく開発された後継車両では乗れるようになっていて」。
実は小金原で導入されている車両は、いまや全国一、長い距離を走っている車両になっています。車椅子の乗降しかり、暑さ・寒さ対策しかり。どこの地域よりも先行していろいろな課題にぶつかっているので、中澤さんが「小金原の車両を実験台にして新型車両を開発しているんじゃないのか」と冗談めかして話すほどです。
さて、本格運行を開始した2023年1月から、乗客を乗せて走りに走って、およそ2年が経過した2025年12月1日のこと。小金原地区を走るグリスロは、累計乗客数、1万人の大台を突破しました。
総走行距離数、同日時点で14,174km。利用者数、走行距離数とも、全国最多。これを祝って翌年の1月13日には、松戸市長、市議会議員、渋谷地区長、社会福祉協議会やドライバーの皆さん、そして1万人目の利用者の方を迎えての、記念式典が催されました。
小さな車両の大きな挑戦は、これからも続きます。

クリスマス・イルミネーション
それは折しも、クリスマスの夜。小金原地区のグリスロは、この時期になると、ピカピカの電飾で車内外の飾り付けが行われます。夜のまちを走るその様子は、さながら走るクリスマスツリー。そこに乗り合わせたのが、80歳を過ぎたおばあちゃんでした。
「まあ、本当にきれいねえ…」おばあちゃんは、目を見開いて、思わず顔をほころばせます。
あたりを見渡して「こんな歳になって、こんなに感動するなんて」。
「ディズニーランドみたいでしょう?」と、運転席から今泉さんが語りかけます。小金原地区の人々の手作りによるエレクトリカル・パレードは、路肩を離れて発進し、リズミカルに光を点滅させながら、時速20km未満の低速でゆっくりとまちを巡っていきます。
「…生きてて良かった。私、降りたくないわ」。
そんなおばあちゃんに、今泉さんは言葉をかけました。
「それじゃあ、もう一周しましょうか」
きらびやかな光に飾られたグリスロは、ふたたびまちへと走り出していきました。

- 松戸市役所および松戸市社会福祉協議会のホームページの図をもとに加筆。https://www.city.matsudo.chiba.jp/profile/ichi_chikei_yurai.html
https://www.matsudo-shakyo.or.jp/tikushakyo/ ↩︎ - プロボノ活動とは、職業による専門性に基づく知識や経験などを生かして行うボランティア活動を指す。この文脈では、主にリタイアした高齢者が現役時代の専門知識や技術を活かして社会参加を行うこと。
https://www.koueki.jp/dic/hieiri_780/ ↩︎ - グリーンスローモビリティは、時速20km未満で公道を走ることができる電動車を活用した小さな移動サービスで、その車両も含めた総称。https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/environment/sosei_environment_fr_000139.html ↩︎
- https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2022/zenbun/pdf/1s3s_06.pdf ↩︎
- 数値は2026年1月現在。 ↩︎
- 松戸市におけるグリーンスローモビリティの導入地区は、2026年2月現在、4地区(河原塚、小金原、六実六高台、矢切)にまで広がっている。 ↩︎
- いずれも2022年10月時点の数値。 ↩︎
- 民生委員は、民生委員法に基づき厚生労働大臣から委嘱され、社会福祉の増進に努める無報酬の制度ボランティア。生活上でさまざまな困難が生じたとき、地域の人々の身近な相談相手として相談に応じ、福祉サービスなどの紹介や助言を行い、問題解決のために行政や関係機関とのパイプ役を担う。https://www.city.matsudo.chiba.jp/kenko_fukushi/seikatsushien/chiikifukushi/minseijidouiin/index.html ↩︎
- 介護支援ボランティア制度
https://www.city.matsudo.chiba.jp/matsudodeikiiki/mokuteki/katsuyaku/kaigoshienbora.html ↩︎ - 地域住民が地区内の移動あるいは地区から主要な道路(幹線道路)に出るまでに利用する道のこと。生活道路は、地域住民の日常生活、すなわち買い物や通勤、通学、散歩など、様々な目的で使われる。
https://www.jste.or.jp/community/data/pamphlet.pdf ↩︎ - Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任。企業が利益追求だけでなく、顧客、従業員、株主、地域社会など、あらゆる利害関係者(ステークホルダー)からの信頼を得るため、持続可能な社会に向けて環境保護や社会貢献活動などを行っていくこと。 ↩︎
- 社会福祉協議会(社協):各種の福祉サービスや相談活動、ボランティアや市民活動の支援、共同募金運動への協力など、さまざまな社会福祉活動を推進することを目的とした、非営利の民間組織。1951年に制定された社会福祉事業法(現在の「社会福祉法」)に基づき設置されている。 ↩︎
- グリーンスローモビリティに関する各種施策に共鳴した1町会が小金原地区会に合流したいということになり、その町会を特例的に受け入れることになった結果、2026年現在は19町会となっている。 ↩︎
- この事例は驚きをもって迎えられ、多くのメディアの報道するところとなった。2026年2月現在でも閲覧可能なものとして、例えば下記がある。
東京新聞デジタル:2022年1月7日 https://www.tokyo-np.co.jp/article/152874
中日新聞Web:2022年2月27日 https://www.chunichi.co.jp/article/421606
千葉日報オンライン:2024年10月15日 https://www.chibanippo.co.jp/articles/1284895 ↩︎
