村尾 俊道(元京都府交通基盤整備推進監)
略歴:1961 年、滋賀県生まれ。1985 年、名古屋工業大学土木工学科卒。京都府庁に勤務しながら、同志社大学大学院総合政策科学研究科、京都大学大学院工学研究科博士課程に学び、工学博士取得。政策ベンチャー事業として交通需要マネジメント(TDM)事業を立ち上げ、モビリティ・マネジメント(MM)を積極的に展開したほか、北近畿タンゴ鉄道の上下分離を主導した。現在はNPO法人「持続可能なまちと交通をめざす再生塾」理事長。
著者:伊地知恭右
監修:筑波大学教授 谷口綾子
インタビュー:筑波大学修士課程(2023年度修了)溝口哲平
(2023年12月21日インタビュー実施)
文字起こし/編集:筑波大学修士課程1年 大月崇義
Introduction 「地域モビリティプロデューサー」とは
日本の地域公共交通は危機に瀕しています。鉄道や路線バスの多くは不採算路線となっており、減便か、最悪の場合には廃線や撤退を余儀なくされています。これは取りも直さず、全国で多くの交通弱者1が生まれていること、そしてこれからも生まれ続けることを意味しているでしょう。都市部のようには公共交通等の交通網が発達していない、地方住まいの人々は、クルマを運転できないというだけで、誰もが交通弱者になり得るのです。
こうした状況で重要となってくるのが、「地域モビリティプロデューサー」の存在です。この言葉は造語ですが、特定の地域においてモビリティ(公共交通を始めとした、人々の移動を可能とする力)をプロデュース(既存のシステムをうまく組み替えたり、新しい仕組みを生み出したり)していけるような、能力および権限を併せ持った人物を意味しています。この文章は、現在、地域モビリティプロデューサーの候補と目される人々に行なったシリーズインタビューを、当人の語りを中心にして構成し、日本の地域公共交通のこれからを、その“語り”から展望しようとするものです。
Part I 自身の経歴を語る
――最初の質問ですが、「地域の公共交通課題の解決を担う人材」というものを仮定して、その人材の理想像がどういったものかについて、村尾さんにお伺いできればと思っています。また、村尾さんご自身が地域の公共交通課題の解決を担っていらっしゃったと思いますが、そのご経験もお伺いできますでしょうか。
理想の人材としては、「地域の将来を俯瞰し、多くのステークホルダーを巻き込み、コーディネートできる人」ということになるでしょうかね。
僕自身がそういった役割に貢献できたとすれば、たまたま京都府庁に勤務し、総合計画を作る部署に居たんです。総合計画で総合交通体系、生活関連基盤の担当をしていたため、一通りの色んなデータを知っていたというのが1つ目です。
2つ目としては、知事秘書をやっていた時代があって、お陰で組織内の意思決定とはどういうものかを、かなり理解することができた。なおかつ、京都府に関係する多くのステークホルダー、その中でも、誰が実力者で、どのボタンを押したら世の中が動いていくかというその仕組みを少しだけ知っていた。ですから「世の中を動かしていく」ことに関するナレッジが、少しはあったのかもしれないなと思います。
もう少しだけ付け加えるならば、僕は社会人になってから2回大学院に行きましたので、そういう意味で言うと、10年ごとに学び直しをする環境が職場の近くにあったことも挙げられると思います。社会人になってから学ぶっていうのは、やっぱり問題意識があってのことですからより深く学べる。
――大学院に二回行かれたということですが、二回目はドクターでしょうか?
そうです。一回目は同志社大学の総合政策科学研究科に政策科学の勉強をしに行っていたんですね。同志社は職場から徒歩20分ですから。そこで経済学、地域経済の先生に付いていたんです。書いた修論のテーマは交通需要マネジメントで、非集計行動モデルで分析をしていました。まあ、経済学と言えば経済学なんですけど。
――それは、おいくつぐらいのときですか?
まだ30過ぎぐらいの時ですね。
――当時はまだ、モビリティ・マネジメントはやっていらっしゃらなかった?
そうそう。まだ藤井聡2先生がイエテボリから帰ってこられる前です。その段階でTDM(交通需要マネジメント)をやっていたんです。
――ちょっと詳しくお聞かせいただきたいんですが、どうしてTDMをやりたいと思われたんですか?
僕は、元々はずっと道路の計画をやっていたんですよ。道路整備課で、道路網の再編計画等をやっていました。それでその後、都市計画に――まあ、大学が計画系の研究室だったので、元々、地域計画はやってはいたんですけど――都市計画課に移って、地域地区を担当したんですね。地域地区というのは、都市計画の中で言うと、面的な規制をやる部分です。その時代から既に、交通計画と都市計画の融合が必要だということは、ずーっと言われていたんですけど、まあ、ほとんど実現していない。そういう状況の中で「どうしたら良いんだろう」ということを考えていました。
なおかつ、京都の都市圏ですから渋滞が激しかったということもあって、この問題を土地利用面からも含めて考えてみようと思って。それで大学院に行って、「京都都市圏における交通需要マネジメントの実現」みたいなテーマで修士論文を書いたんですよ。そして、まさに自分で書いたその修論を、京都府の総合計画に位置付けてですね、総合交通体系の一丁目一番地にTDMを書いたという、まあ、そういう経緯がありました。
――その後に、モビリティ・マネジメントについても、さまざま先駆的にご活動されていたと思うんですが、その後、博士論文課程に入られた経緯というのは?
まず、自分が修論で書いたものを企画環境部の次長(元上司)に見せて、総合計画の総合交通体系の一丁目一番地に位置付けた。そうしたらその途端に秘書課に異動になって、2年間カバン持ちをして戻ってきたら、全く計画が動いていなかった。そこで当時の知事に「政策ベンチャーでTDMをやらせてください」と言って部署を立ち上げたんです。体制はまったく一人で、年間予算600万円で、手下じゃなくて手上、つまり自分よりも上のメンバーをいっぱい集めたチームを作って、それで活動していたんです。4年間MMをやりまくって、その後企画に異動になって、そのタイミングで少し業務に余裕ができたので、自分がやってきたことをまとめる為に、ドクターに行ったっていうことなんです。
Part II 理想の人材を語る
――続いての質問なんですが、先ほどお伺いした理想的な人物像を育成するためには、どんなことが必要だと思われるかについて、村尾さんのお考えをお聞かせいただけますでしょうか。
まず、交通というのは所詮、道具であるという認識が必要かと思います。ですから最初に交通ということではなくて、やはり、地域社会をどうしたいのかというところが起点。そしてそのために必要となる“道具としての交通”を、どういうふうに考えるのか。そういう順序だと思いますので、まずは「地域社会の将来像を描く能力」ではないかなと思います。
2つ目に、「10年以上先の将来を見通す能力」を挙げたいと思います。
それから、組織で仕事をすることがすべての基本になってくるので、いかに組織を巻き込んで自分の仕事として動かしていくのかという観点から、「コミュニケーション力」が重要だろうと想います。
――2つ目の「10年以上先の将来を見通す能力」という点について、少しお伺いできますか?
どこの自治体でもそうかと思うんですが、普段、業務をしていると、将来のことを考える機会って極めて稀なんですね。それで僕の場合はたまたま、先ほど総合計画を担当したって言いましたけれど、総合計画というのは少なくとも10年先、20年先の計画を作るんです。交通プロジェクトって、当たり前に10年かかるじゃないですか。例えば鉄道線の整備――ちょうどいま動いている富山県の城端線、氷見線みたいな話だって、20年先を考えて10年後に完成させる、そういうことが普通に必要になってくる。できた時にはもう古いっていうことでは困るわけですよね。
でも普通はなかなか、10年先のことを考える習慣というのはないと思います。そういう意味で、あえて挙げてみたという次第です。
Part III 「再生塾」を語る
――ありがとうございます。仰っていただいた人物を育てることができるような、理想に近い人材育成の取り組みなどご存じでしたら、理由とともに教えていただけましたら。
「再生塾」でしょうかね。なかでも再生塾のアドバンストコースは、リアルなフィールドを対象に多様な人材が集まる、組織的学習の場であり、日常業務を通じては得られない、新しいことへの挑戦の機会が得られます。自分が仮想責任者になって計画を作れる枠組みがあり、自由に課題を設定し計画する機会が提供されます。再生塾は発足以来もう16年経ちましたので、かなりナレッジが溜まってきています。それでも世の中の方が少しずつ変わっていきますから、それに合わせて我々もプログラムを見直しますし、できることもどんどん変わっていくだろうと。そういうことの繰り返しで、いまの状態になっています。
再生塾には色んな組織の人たちに参画いただいているんですが、懇親会を頻繁に開催し、相互の信頼関係の醸成を短期間に行えるしかけがあります。何よりも、社会人の学びは互学互修ですし、それだけに、幅広く色んなことが学べる環境が出来上がっていると思っています。
――先ほど村尾さんが挙げられた「コミュニケーション力」については、なかなか伝えるのが難しい部分ではないかと思うのですが、その点、再生塾では、あるいは村尾さんは、どのように心がけていらっしゃるのでしょうか?
それについては、何かこうという決まったやり方があるとは思えないんですけれども、人と話すのにも色んな環境がありうる中で、一番簡単に親密になれるのは飲み会だろうと。もう、コロナ禍も明けましたので、再生塾では毎回、飲み会をやるんですね。飲みながら色んな話をして、その人の、人となりを理解していく。そうするとだんだんコミュニケーションしやすくなっていって、色んなことを聞きやすく、引き出しやすくなる。
そういう意味で、再生塾は毎回飲み会――じゃないな、懇親会をやっているんです。土井勉3先生みたいにまったく飲まない方もいらっしゃるんですけど、でもみんな楽しんでいる。そういったところでの雑談を通じて、人となりを知り、色んな話を聞いて、それでまたコミュニケーションの力が高まっていく、そんな感じでしょうか。
――次の質問なのですが、ご説明いただいたような理想の人材をご自身が育成されるなら、どのように育成されるか、あるいは現在取り組まれていることがあればお伺いできますでしょうか?
最初に再生塾のことで言えば、再生塾っていうのは、休日に身銭を切って集まる人たちの組織なんですね。それぞれの人が自分は何かやりたいと思って集まっているわけですから、これはもう、リーダー育成コースみたいなもの。それぞれの地域の、本当の担い手になるような人たちが混じり合って、刺激し合って、教え合い、学び合っているのが、再生塾かなというふうに思っています。
その一方でやっぱり、交通を体系的に実務者が学ぶ場面というのがなかなかない。そこはフォローしていかないといけないです。特に、リーダーになるわけではないんだけれど、交通のことを知っていてもらわないと困る人たちですね。それでこういう人たち向けには、オフィスアワーにOFF‐JT(オフ・ザ・ジョブ・トレーニング:オン・ザ・ジョブ・トレーニングの対義語。職場外の研修のこと)としてやる。
京都大学の低炭素都市圏政策ユニット――これは当初、JSTで5年間お金をいただいてやっていたもので、その後は京都交通政策研究ユニットっていう形に変わって、10年近く続けたんですが――こういった枠組みを作って、普通の担当者の人たちを対象として知識づけをするという枠組みを作って実践していました。
――いまのお話の対象となる「担当者」というのは、自治体職員というイメージでしょうか?あるいはコンサルとか?
集まっていただいていたのは、自治体の担当者や、コンサルタントの方、それに交通事業者の人たちにも来てもらっていました。
低炭素都市圏政策ユニットを始めた当初には、トップマネジメントコースを作っていたので、そこには自治体の首長の方々を集めてやっていました。京都府からは副知事が参加して、それから市長、町長の皆さんに京大に集まっていただいて。トップマネジメントコースと一般のコースと2本建てで、なおかつ一般のコースは、初級コースと上級コースと2本建てでやっていましたね。そんな感じでしたから、中身はというと、ほぼ、いまの再生塾のアドバンスドコースでした。
Part IV 自分自身を語る
――ありがとうございます。ここからは質問の趣がちょっと変わりまして、ご自身についてのお話になるんですが、何を原動力として現在のような活動を続けておられるのか、そのキャリアの経緯について伺えればと思っています。
再生塾に関しては、私が大変お世話になった北村隆一先生っていう偉大な方がいらっしゃって、その人が「やろう」っていうことで集まったメンバーが、北村先生4はお亡くなりになってしまったんですが、北村先生の意思を継いで、色んな人たちが集まっている。ほぼみんなボランティアです。途中から入ってきた小池5先生なんかも「北村先生には非常にお世話になった」と仰っていて、だからこそボランティアベースで――特に会員の人たちは、毎年1万円の年会費を払って、その上でボランティアしているという状況なので、まあそこが、大きな柱になっているんだろうなというふうに思います。
それから再生塾が続けられていることに関しては、まあ、社会貢献という問題よりもですね、自分自身が、自己実現というか成長しているということを実感できる。そういうふうに皆さんが思っておられる、そういう環境ができているので、多くの仲間が、未だに仲間として活動できているということだと思います。
――北村隆一先生のビジョンについて、一番それを端的に示している言葉だとか、あるいは文献などはありますでしょうか?
僕は北村先生がアメリカから帰ってこられた直後に、ちょうどアメリカに行く機会がありまして、アメリカでの視察先を、紹介していただいたんです。デイビス、ポートランド、シアトル、そういった場所のトップマネジメントの人たちを紹介していただいて。それで一人でアメリカに渡って、都市圏の計画作りをやっている、そういう地域を順番にずーっと回ったんですね。
それがきっかけで、北村先生から色々お声掛けをいただくようになって、北村先生の研究会にずっと学びに行っていたんですね。そんなことがあって、この再生塾の立ち上げの時にも呼ばれたということなんです。
北村先生が仰っているのは、「お金で買えないものこそ、私たちの暮らしを豊かにする」。これに尽きます。地域コミュニティとか、美しい街並みとか、平和な社会、平等な社会――こういったものには値札が付かない。だから、お金では買えない。まさにそれはソーシャルキャピタルで、資産であるからには手をかける必要がある。人と人とのネットワークもそうなんだと仰っていましたね。
――すぐに的確に答えていただいてありがとうございます。続いての質問なんですが、いまちょっと触れていただいたところもあるかと思うんですが、現在のキャリアに影響を与えた人や書籍、出来事などについて伺えればと思います。
北村先生はいま申し上げたんですが、他には中川大6先生ですね。TDMのプロジェクトを一人で立ち上げた当時、大学との連携事業を相談に行ったんですが、その時に中川先生に「大学と一緒に活動するっていうことは、世界最高水準、世界初、日本初、日本最先端といったことを意味するんだ。こういったことを一緒にしないのであれば、大学と一緒に活動する意味はないんだ」と、最初に言われたんですね。
だから、自分がモビリティ・マネジメントのプロジェクトを立ち上げるときにも、「日本最大級」とか「日本初」とか、そういったものにこだわってきましたし、その意味では、北村先生の次に、中川先生に影響を受けたと思っています。
それから書籍ですけれども、『動機のデザイン7』ですね。いま色々仕事をご一緒している由井真波さんの書かれた本で、この本の中身が、再生塾でやっていることと非常に近い。
由井さんはデザイナーなんですけれども、まず形のデザインを期待して仕事がやってくる。その時に、そのデザインは何を実現するためにあるのかという価値のデザインを一緒に考え作り上げる。そして最後に動機のデザイン――この動機のデザインっていうのは、当事者が、自分なりに納得することで動いていく仕掛けのことです――それがなかったら、その製品は続いていかないし改善が進まないんだ、だから動機のデザインが大事なんだよということを、本に書かれているんですね。
Part V 再生塾の現在と未来を語る
――ありがとうございます。次の質問ですが、これまでご説明いただいたキャリアの過程において、苦労した経験とか悔しい経験、うまくいかなかった経験等について、お伺いできますでしょうか?
まあいくらでもあるんですけど、後から考えると「楽しかったな」になるので。苦労、悔しい、もうしょっちゅうありますけど、まあ、ええんちゃうかなって。
直近の話だけでいうと、再生塾はやっぱりボランティアの域を脱することができていないので、やっぱりもっときちんと、東徹8さんや大藤武彦9さんにお金が払える環境を作っていかないと、あまりにも事務局サイドの負担が大き過ぎて。なぜいま、この再生塾がうまく回ってるかって言うと、事務局の人たちが本当に献身的にボランティアで色んな雑務を請け負ってくださっているからなんですね。だから関わる人たちにはたとえ幾ばくかでも、きちんとお金をお渡しできるような仕組みをつくらなければと、まあそれがいま一番、心苦しいところですね。
――いま国土交通省が、国土交通大学校で、三日間とか一週間とか、結構長期間で、色々なコースを展開している教育プログラムがありますよね。国家公務員だけじゃなくて、おそらく自治体の方も参加可能なものだと思うんですけど。ただそれは、所属組織の方から行けと言われて嫌々行っているような雰囲気も感じるんです。とても良いプログラムで、そうそうたる先生方を呼ぶのに、その嫌々行っているような感じが気になっています。
いや、僕は国土交通大学校も建設研修センターも、何度も行ったことがありまして、それはそれで全然嫌々じゃなく楽しかったなと思っていますし、良い経験でしたよ。
ですが、再生塾と抜本的に違うところは何かというと、参加者のメンバー構成です。行政の中だけで議論していても、所詮は行政の文化にしか染まってないわけだから、実社会との隙間がなかなか埋まらないですよね。やっぱり実務者が入ってきて、それでお互い教え合いっこをしている。違う文化の人たちと一緒に混じり合う。これこそが一番大事であって。
ですから、国土交通大学校がやっていることは全然間違ってもいないし、それはそれで必要なんだけど、さらにもう一つ必要なことというのは、実社会の人たちが、いまこそ本当に一緒にならなければいけない時代になってきたということだと思うんですよね。かつては鉄道会社間で激しく競争していた時代があったわけですけど、いまや相互依存の関係になってきたり、共存しないといけない関係になってきているわけで、バス会社だって鉄道会社だって行政だって、もうみんなが一緒になって手を取り合わないと、いまの制度の中ではもう諸々の事柄が維持できないという状況になってきているわけですから。
だから取組み自体が悪いわけではないけれども、もうちょっと多様な人が混じり合う仕組みが必要だということだと思います。
――ありがとうございます。再生塾に関して、もし本当に財政基盤をちゃんとしようとしたら、受講生から、例えば1回20万取るとか50万取るとか、そういうことになるのか。あるいはどこか、ゼネコンや自治体等からちょっとずつお金を集めて、受講料をできるだけ安くするのか。どうにかしてビジネス的に――儲けはいらないと思うんですが――回していける仕組みというのは、どんなかたちがあり得ると思いますか?
もちろん大学がそういうことを回していくことだって、十二分に考えられると思うんです。大学という組織自体がそれをやっていくっていうのが、一つの選択肢だとは思います。
京都大学の交通政策研究ユニットのときには、修了すると「京都大学都市交通政策技術者」という資格を出して、修了証を渡していたんですね。そういうことがあれば、「お金を払ってでも行ってみようかな」と思う人は、きっと出てくると思います。
ただ、僕らが再生塾でやっていることは何かと言うと、なんとかいまの状況から少しでも地域の交通が良くなるようにするために、現場で現役で本当に頑張っている人たちが、それほど無理をしなくても参加できるような枠組みを用意をして、その人たちがしっかり学んで、自分たちのフィールドに成果を持ち帰ることができる。そういう環境を作ろうということなんです。再生塾の醍醐味は何かというと、やっぱりそれなりに意識の高い、実力を持った人たちが集まって、意見を戦わせるっていうことなんですよ。ですから変に20万30万と参加のハードルを上げてしまうと、そういう心ある人たちが集まってくれない。
だから僕らのワンデーセミナーはずっと3,000円で運営をしてきたんですが――3,000円というのはかなり安いと思うんですが――これ、ほとんど赤字なんですよね。それでも続けてきたっていうのは、もう、できるだけハードルを下げようということ。
ちょうど子育て期ぐらいの30代40代の若い人たちが、休みの日にちょっと奥さんに「ごめんね」、子供に「ごめんね」って言いながら行けるくらいの、お小遣いでいけるくらいの、そういう勉強の場を提供しようとやってきたわけですから。本当にビジネスライクにやるとなると、集まってくる人の層も変わってくるだろうし。参画している人たちも、再生塾の志があればこそボランティア的に加わってくれているところがあると思っています。
――いまのお答えに関連してなんですが、JCOMMもそうだと思いますけれども、再生塾もおそらく、中心になる人たちが、だんだんと歳をとってきていると思います。ですから若手育成とか世代交代をうまく果たさなければならないんですけど、この辺り、いかがお考えですか?
再生塾の理事長は、僕で4代目なんですよね。僕の前が正司健一10先生で、その前は土井勉先生でした。正司先生と土井先生はあまり年齢変わらないんですけど、僕は10歳以上離れているんですね。だからそこでいったん、10歳以上若返ったんですよ。
それから、LF、ラーニング・ファシリテーターっていう人材をちょっとずつ増やし続けてきているんですけど、その世代交代は結構進んでいて、割と若い大学の研究者、それから交通事業者の人たちが入ってきてくれている。そういうかたちで、常に新しい人を入れるよう、若返りは進めています。
――安定的に運営できる状況をどうやって実現するかについては、まだ道筋はあまり見えていない感じでしょうか。
財務基盤の問題に関して言うと、今回は共創プロジェクトのお金をいただいているので、赤字になるということはないんですけれども、あとは寄付金をどういうふうに集めるのかを課題にしています。寄付金を集めてなんとか回していくっていう枠組みが次の目標の1つかなというふうに思っています。
――「地方議員に声が届かない」という問題意識についても、あらかじめお伺いしました。これはもう、本当に議員を動かせれば色んなことが動くと思うんですけど、何かアイディア等はお持ちですか?
毎年「議員セミナー」というのをやっているんですけど、これがなかなか参加者が増えないですね。最初のうちは郵送で各議会事務局に送っていたんですけど、ほとんど意味がなかった。結局口コミしかなくて、色んな審議会なりに入ってもらっている先生方から、そこの議会事務局にちょっと声をかけてもらうとかね。そういう手でしか、地方議員がこういう場に出てくるということはなかなかないということなんですね。
今年、ローカル鉄道の議員セミナーもやったんですけど、それもなかなか苦労して、もう途中で「今年はやめようか」って言ったくらいに集まりが悪かったんです。まあ最終的には、中国地方がいま、芸備線で非常にホットになってきているので、岡山辺りから結構来てくれて、そういう意味では――大阪でやったんですけど――関西はいま、ローカル線問題がそれほど沸騰してないので、やる場所もちょっと良くなかった。
「オンラインでやったらどう?」っていうのは最初から言われたんですけど、「やっぱり僕らの一番の売りは、オンラインではなくて、リアルの方にあるだろう」と言って実施しちゃったので、そうなったんですけどね。なかなか難しいなと思います。
――オンラインにしない理由は、やはり懇親会ができないからですか?
それもあるんですけど、他にも理由があって。オンラインは確かに参加はしやすくなるとは思うんですけど、今回の議員セミナーなんかも、質問の時間をすごく多く取ったんですね。皆さんが本当に困ってることって、どういうところ?ということを聞いた上で、それに我々メンバーが答えていくっていう時間を、かなり重視した。
まあ、そういうことをしようと思ったら、やっぱり直接顔を見ながら、「いや、こういうことじゃないの?」「ああいうことじゃないの?」という方が良いかなと考えて、リアルにこだわって実施したというところなんですね。
――再生塾に関してもう1点だけお聞きしたいことがあるんですが、フィールドワークのフィールドについては、どうやって決められているんですか?
これはですね、毎年12月辺りから理事が集まって、理事会で議論するんです。まずは、受け手側の体制です。要は、フィードバックした時にそれを真面目に受けてくれるような人がいるかどうか。これが最大のポイントです。受け手が、聞いても右から左に流してしまうようなかたちで終わってしまっては意味がないので。
それからやはり、受け手側が本気になっていたら、色んな資料提供だって、現地の案内だって、本気でやってくれるので。より課題認識をしっかり持っている組織であればあるほど、取り組みやすくなります。
反対に「何が問題かがわからへん」みたいな形で、ポンと放り投げられるとですね――苦戦するということです。いってみれば「何が課題か」からまず探り出さないといけないので、その課題設定は、チームによってバラバラになってしまうわけですよね。「自分たちはこういうことに困っているんだ」という意識を持って乗り込んできていただけると、我々としても、それに対して非常にフォーカスしやすい。答えが簡単かどうかはともかくとして、取り組みやすいんです。「何が問題かわからんけど、とにかくやって」みたいなことを言われるのが一番困るんですよね。
ただまあ、そういう人たちをたくさん巻き込んで、結果その人たちの意識が変わったら、それはそれで良かったかなと思っているんですけど。
Part VI 再び、自分自身を語る
――続いての質問です。先ほどお話しいただいたような苦労ですとか悔しい経験から、いかにリカバーしたかについて伺えればと思います。
キャリアの最初に一番苦労したのは、首長とのコミュニケーションでした。それまで参事クラスだったのが、いきなり交通政策課長になって、当時の部長から「君の当分の仕事は首長を説得することだ」って言われて、各首長をいかにこう説得するのかっていうところは、非常に苦労しましたね。
でもそのときに、すごく助けてもらったというのは、各自治体には結構、京都府のOBが行っているんですよね。そういう人たちが助け舟を出してくれて、首長と上手につないでくれて、うまく回っていったっていうことがありました。それから、議会対応ですかね。自分自身で本当に苦労したなと思うのは、そんなところでしょうか。
――いまのお話に関して、首長さんを説得するやり方ですとか、編み出した方法とか。最初にこんなことを言ったら失敗したとか、そういったお話があればお聞かせください。
一人一人を説得するというのは、かなり難しいです。なにせ一国一城の主ですから。それからもちろん、各自の置かれている立場が全然違うので、そんな中で一人一人個別に説得というのは、実は結構難しい。
だから、全員が集まっている場で意思決定させるというやり方でしょうか。北近畿タンゴ鉄道11の時なんか特にそうだったんですけど、もう全員が集まる時間を無理やり見つけて。首長本人が全員参加で、そこで物事を決めていくという、そういうスキームにしたんですね。そうするともう、「直接顔を見合わせながらでも反対って言えるのか」みたいな、そういうふうになっていくわけです。
それでやはり、母都市と周辺の都市では事情というのが全然違うんですよ。価値観が全然違うから、もう全く正反対の思いを持っているはずなんです。まあ言ってみれば、母都市の人たちにとっては、外からやってくる人たちのことなんて知ったことじゃないんですよ。だからそんなところにお金を出したくないと、本気で思っている。でも外側の人にしてみたら、もうその鉄道しかないわけだから、なんとかここを良くしたいという思いで熱く語るわけです。
それで、そこの説得に関しては、もう事務レベルが間に挟まっても仕方がないので、首長同士でどうぞということで、その場で戦っていただくということですね。
――なるほど。大変勉強になります。それから、今回お伺いしているのは再生塾関係のお話が多いですけれども、村尾さんご自身の、行政職員としての転機みたいなお話はございますでしょうか。
はい、そういう意味で言うと僕自身はね、最初、ずっと計画マンをしていたんですよ。良い計画をつくるのが、自分にとってのミッションだって信じていた時期があった。ですから海外も見に行って、「これがいまの世界標準だ」みたいなことを言って、嬉しそうに総合計画をつくって、「ほら、どうだ」と言っていた時代があったんです。
でも、それで秘書課に異動になって、2年経って戻ってきたときに、全然進んでいない状況を見て、愕然としまして。「ああ、これではあかんな」と。要は「計画しても、それが実現しなかったらまったく意味ないよね」ということを思い知らされて。そこからは「100%実践だ」と。「自分でやります」と言って、冒頭お話ししたように、TDMをやったんです。
まあ、そうやって一回、頭を打ったからですね。計画屋さんってね、ついつい良い計画作って「以上終わり」で満足しちゃうんですけど、実は計画というのは何のためにあるかっていえば、世の中を変えたり、何かを実現するためにあるわけで、それが進まなかったら、計画している意味がないということに気が付いたということでしょうかね。
――最後にもう1点、今後、地域の公共交通課題の解決を担う人材や、地域モビリティプロデューサーとして育てたい実在の人物が、もしいらっしゃればお聞かせいただけますでしょうか。
いや、よくわかりません。実在の人物、誰でしょうね。ええと、まあ、少なくとも首長には沢山いらっしゃいますよね。こういうことを成し遂げた人たちっていうのはね、(富山ライトレールを実現した)森12(元)市長なんかもそうかもしれませんし。あるいは交通事業者の中にも、社長クラスで本当に良い資質を持った人たちは、たくさんいらっしゃるんだろうなというふうに思いますけどね。
ただ、僕の方から一つだけ、ちょっと申し上げておくならば、人材のみならず「組織の問題」についても、議論しておいていただいた方が良いんじゃないかなっていう気がしますね。
もちろん人材にフォーカスするのは非常に重要なことなんですけれど、その人材を自由にこう、泳がせられるような環境がその組織にあるか――要は「自由に計画して良いよ」っていうような、そういう環境を組織が用意できているか――みたいなことが、すごく大事だと思うんですね。計画する自由のない組織って、いくらでもあるわけなんですよ。だから、そういう意味で言うと、組織の問題も併せてリサーチをしていただくといいのではないかと思います。
(了)
- 交通弱者:自動車中心社会において,移動を制約される人.高齢者や,子供,身体障害者,低所得者など. ↩︎
- 藤井聡:京都大学大学院工学研究科教授.メディア出演多数. ↩︎
- 土井勉:(一)グローカル交流推進機構理事長、元大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教授.第2代再生塾理事長. ↩︎
- 北村隆一:故人.京都大学名誉教授.再生塾初代理事長. ↩︎
- 小池淳司:神戸大学大学院工学研究科教授.再生塾副理事長. ↩︎
- 中川大:京都大学名誉教授. ↩︎
- 由井真波『動機のデザイン 現場の人とデザイナーがいっしょに歩む共創のプロセス』, ビー・エヌ・エヌ, 2022 ↩︎
- 東徹:(一社)システム科学研究所常務理事兼調査研究部長.再生塾理事. ↩︎
- 大藤武彦:株式会社交通システム研究所代表取締役社長.再生塾理事. ↩︎
- 正司健一:神戸大学名誉教授.再生塾元理事長. ↩︎
- 北近畿タンゴ鉄道:京都府・兵庫県において鉄道2路線を保有する第三セクター.2015年の上下分離により鉄道運行事業をWILLER TRAINS株式会社に移行し,以降は鉄道施設の保有のみを行っている. ↩︎
- 森雅史:元富山市長,JR西日本の赤字路線をLRT(次世代型路面電車)「富山ライトレール」として再生させた. ↩︎